ガーン

2004年12月22日
*今年はキツそうなむてけい*
ABe先生の同人誌は毎回楽しみにしてますが、今回は大変そう〜。
一度に新刊が3冊も出るのは異例の事で、ブースに置ける段ボール箱の規定数をはるかに超えてしまうので、今回は、1冊あたりの搬入数が例年よりかなり少なくなる見込みです。毎回、午後に来ていただいても本が買えるように配慮してきましたが、今回は売り切れてしまう可能性があります。ご注意ください。

ノー!!午後にゆっくり行くんじゃ間に合わないって事か?
んんー………。

たまには通販使ってみようかなとか考えたが、通販って、向こうにすごく労力使わせるんだよなぁ。

*昨日の続き*
折角昨日はAセクシュアルの話で盛り上がったので、帝将らしく、もっと人工知能やミームに絡めた話でもしようかな。

こういう話は、普通はオフライン友に見られないところでするみたいだけど(笑。2ちゃんとかね)、わしは元々カミングアウトしてるし(親も自分に性欲とか恋愛への興味がないことを知ってる)、今更知って驚く人もいないので、その点気が楽だ。

わしはどうも、ヲタであることとAセクシュアルであることが、いいほうに働いたみたい。ヲタ=変人キャラ=性的にもマイノリティ が、自然と成り立ってた。男友達も女友達も、区別して扱わないしねぇ。いわゆる、「男を異性として見ない態度」ってやつ?そーゆーのがムカつく人には、すごい嫌な態度だったのかな?

Aセクシュアルは、同性愛者やトランスセクシャル以上に、自分のセクシュアリティについてアイデンティティをもてないらしい。(理由は昨日書いたように、存在自体が認知されてないから)
そういう意味では、「自分を定義する言葉」は知らないながら、自分のキャラクターを「個性派」として作ろうとしがちな「オタク」であったのは、多少代替になるカテゴリだった気がする。オタクのセクシュアリティ(二次元萌えとか)は、また別の話なので、個別に考えてみたい興味深い事象ではあるけれど。

そもそもAセクシュアリティと、自己愛が強すぎて他社へ愛が向いていかない(自分に恋してるとでも言うのだろうか)との区別がつかないって言われるね。自己愛が強すぎる場合は、恋愛以外の言動にも自己愛的なモノが溢れ出るだろ?って思うけど。所謂、厨行為って奴かね?他の人のサイト乗っ取っちゃうとかww

自己愛が強い→「自分に見合う相手としか恋愛なんかしてやらない」という態度 って認識だと思うんだけど、実際のAセクシュアルは

「なんで世間の人って、そんなに恋愛のことばかり考えてるの?!っていうか、恋愛のことに興味が沸かない自分って、なんか変なのかなぁ……orz」

って感じだな。あげくに自己愛が強いーとか、心の発達段階が留まったまま!とか言われて、余計へこむ。

*遺伝子の奴隷*
これまた「セクシュアリティと社会学」の授業だけど、12/7に、蔦森樹さんを講師に迎えて授業をやったのね。その日の授業感想は、ミクシのほうに書いたんだけど(view_diary.pl?id=4608691)、その時書いた内容と、Aセクシュアルに対する自分の見解は、かなり共通してる。

あ、ミクシといえば、オフライン友人を(誘ってくれたちなみんは別として)ミクシに呼ぶのって、すごく抵抗あるな。ミクシは唯一、「オフライン友に見られずに安全に書ける、2chみたいな吐き出し口」と思ってるから。だから、自分からはオフライン友をミクシに呼ばない。

要するに、恋って言うのは、遺伝子がしてるって考え方だよね。
遺伝子に「いいか、人間。お前は遺伝子様をコピーするための乗り物である。人間とは、遺伝子複製のために生涯働き続ける奴隷であるぞ」って言われてるようなものだ、と。
リチャード・ドーキンスの利己的な遺伝子ってのは、もっと「いい意味で」殺伐としてるものなので、今わしが書いた遺伝子視点の話は、面白くするために脚色したものだと思ってください。とにかく、恋愛→セックス という風潮の裏には、「子孫残せれば何でもいい」という遺伝子による人間支配がある、って考え方が、一部にはあるんだ。講師の蔦森氏もそんなこと言ってたな。

そうした考えの一派は、ドーキンスの「利己的な遺伝子」を、自説の論証として旗手に挙げている。ま、それ自体はけっこうイタタな感じがして、わしとしてはヲチ対象なんだけど(笑)、実は嫌いじゃない。

昔から、「自分は唯一無二の種族であり、突然変異のようなもので、子孫とか残せなければいいのに」のようなファンタジーを漠然と考えてて(これが中二病って奴なのかな?)、その名残が今でも生きている。なんかねー、遺伝子の乗り物にされてる人間、って言い方に、すっごいカッコいいものを感じるんだよね。

人間はものなんか考えてない。思考の大半は、遺伝子複製のためにあるもので、ごくわずかに前頭葉とかの一部だけが、「人間とは何か」なぁんて、生存には関係ない余分なトリビアを考えることができる。また、そのヘンなトリビアがあるせいで、「自分」なんてこれまた社会的なモノ(存在しないもの、観念)に縛られる。

しかし、人間は、このトリビアが、人間が万物の霊長であると言う証拠と信じて疑わない。

……っていうのが、おおまかな「人間=遺伝子の船説」ね。カッコいいでしょ?観念って大事だよね。社会学ではあたりまえだけど、観念ッツーか、形のない概念ってものが、ほとんど人間を作ってんだよね。例えば、紙幣。物質として考えれば紙ッ切れだよ紙幣なんて。それを「紙幣には価値がある」っていう「観念」が人間にあるおかげで、我々はペラモン一枚を信じて生きてるわけだ!そもそも、社会なんて、誰も見たことがないのにみんなあるって信じてるし。ないんだよー、モノとしての社会なんて。人間が「ある!」って信じてるからあるんだよー。

だから、わしのような「文化の遺伝子主義者」(笑)は、人間相手の恋愛と言うものを快く思わない。恋愛は、遺伝子を残さない対象、つまりコンピュータとか、特に知性を持ったコンピュータとかに向う(笑)。つまり、「子孫を残したいと言う遺伝子の支配を振り切って、遺伝子を残さない方向で私は恋愛をするんです」って感じだねぇ。
言っててすごく自分がイタイぞ(笑)。でもまあ、ネットでピエロになってる自分は、読み物として楽しいからいいや。

しかし、遺伝子残さないだけなら、同性愛になってもいいんだけどね。なんで自分は「そもそも恋愛そのものを良しとしない」Aセクシュアルなんだろね。あああー、なんだかなー、もしAセクシュアルじゃなかったら、周りが「ヤオイおもしろい!」って言うのが、理解できたのかもしれないなー!!(敗北感)

因みに、身体の遺伝子に嫌悪がある反面か、文化の遺伝子つまりミームを残すことには貪欲です。だから、サイトもダラダラ4年間、色々ありながらも続けてるんじゃないだろうか。

例えばわしが80歳になったとき、15歳のサイト常連さんができてくれれば、わしが81歳で死んだとしても、その15歳の常連さんが老衰で死ぬまで、サイトを通してばら撒かれた「五十三軍曹の文化の遺伝子」は、残り続けるわけだ。
同様に、何か文化的な作品の一つも残せれば、読者がいる限り文化の遺伝子は不滅。肉体の不老不死よりずっとイイ!

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