時間商人 不老不死、二度売ります (ガガガ文庫)
2009年2月25日 読書
*スーパーレビュー練習なんちゃらリンク
時間商人 不老不死、二度売りますの感想です。
オチがよく、オチを読んでからもう一度読み返すと見えなかった部分が分かり、改めて本全体が面白かったと言える作品でした。
前半の不安定さや、設定に突っ込みどころを探させる部分が、オチでストンとはまる、カタルシスのある作品だと思います。
トキタのセリフが良いんですよ。生きる意味に対する返答とか。
ところでここは作者のblogでしょうか
http://kanata-no-sunadokei.blog.so-net.ne.jp/
あらすじ(公式サイトより)
「オサヤマの味方です」トキタは不敵に笑う
不老不死を必要とする者の前に、時間商人の助手は白猫を連れて現れる。世界的な経営者の長山豪介、献身的な新薬開発者の佐原修、姿をみせない公園の何者か。それぞれの理由から死を遅らせたいと願う彼らに提示される、時間商人トキタの契約。寿命か金銭を支払えば、トキタは特別な10年間を提供する。それは老いず、怪我や病気が進行せず、絶対に死なない「期間限定の不老不死」。トキタの店に足を踏み入れた人々は、数奇な運命に導かれていく――。
短編連作形式なので登場人物は多めです。ここではメインだけ紹介します。
トキタ
時間商人。常にスーツで全身白尽くめ。柔和で軽い話し方と表情を見せないサングラスが相まって、トリックスター的な印象を漂わせる。
カナタ
時間商人の助手。不老不死サイドから読者視点の代理人となってくれる存在。連作短編形式で各章ごとに主人公がいる本作で、全体の大テーマでの主人公。
*動機の見えない不気味さ
時間商人の商売は、不老不死を売ることです。
不老不死と言っても制限つきで、販売単位は10年間。つまり、10年だけ歳を取らず、死にもしない体になると言うことです。
いかなる要素によっても生体ホメオスタシスが変動せず、ネルギー代謝が完全に「自己完結」する。そういう体になるようです。
不老不死系の話で自分が一番「どう処理するのか」注目するのは、死なない肉体になることで意識がどのように変容するかということです。
何度目だと言われそうですがBRAIN VALLEY(何度目だ)では、記憶(ひいては意識、心)はレセプター間の化学物質のやりとりだということが、前半のスーパー蘊蓄タイムの半分ぐらいを裂いて語られます。
意識とは、脳内の物質の移動で出来ているわけです。この移動には当然エネルギーを消費します。エネルギーの過不足が物質の移動に影響を与えるとも言えます。エネルギーの供給量は、健康や環境で変化します。
空腹、病気、怪我、「死」に直面する状況。そういったもので、脳内の物質の動きは変えられてしまい、結果的に意識にも影響する。そこからスーパー神タイムまで走っていく小説がBRAIN VALLEYなのだ、ということを22日の日記に書いたと思います。
ということは、逆に言えば、「死なない」「変わらない」「飢えない」ということも、脳内の物質の動きに影響を与え、意識に変化をもたらすはずです。
脳(意識)の発達は、生存努力の器官・戦略として進んだものであり、死なない=生存努力をする必要がない状態になれば、機能が衰えていくかもしれません。
「不老不死になっても意識が変容しないのはおかしいと」思う根拠はここにあります。
その点、時間商人では、「不老不死のタイムリミット」によって、うまく意識問題をすり抜けている気がします。
永遠に不老不死なのではなく、「10年間だけ」死ににくい体になる、つまり根源には「いつかは死ぬ」=「生存努力が必要」というのが残っているわけです。
また、もう一つ予防線と言うか、エネルギーを自己生産できるけれど、感覚として空腹は存在するし、空腹を放置するとストレスになる、という設定があります。死なないことにより生存努力をしなくなり、結果的に意識の活性が落ちることへの予防線設定となります。
本来「空腹感」とは生存努力のための警鐘ではないか、という疑問があると思いますが、これらは脳内でも原始的な分野、小脳などが司る部分になります。これらは肉体の変容から受ける影響に比較的強いので、10年間死ななくなった程度ではなくならない、と考えてもそんなに不自然ではありません。
かなり長期間不老不死を続けているトキタにも空腹があります。最初は「他の不老不死者に合わせるためか?」と思った設定なのですが、オチを見てなるほどと感じた部分の一つです。
トキタの意識は活性が衰えている様子はありません。不老不死を続けていてもトキタは生存努力(に起因するのであろう意識の高活性)を維持している様子です。
ここで疑問が出てきます。
「10年限定ではなく、ガチ不老不死の時間商人はどんな意識を持っているの?」
先に結論を言えば、トキタは「不老不死になったことで不老不死の精神になっている」ので、「人間とは精神構造が違う」のです。
読み始めの頃は「不老不死になっても精神は人間のまま変わらないアレかな」と思ったのですが、ラストになると「いや、これはしっかり人ならざる視点、人外に変容しているじゃないか」と思いました。
人ならざる意識、その精神は未知のものであり、不気味です。トキタ単体は不気味なキャラクターではありません。時間商人の動機が見えないことが、不気味さを作っています。
なにしろ、不老不死を売るというのですから、とんでもない商売です。
神の慈善事業か、悪魔の戯れか、それほどのことをやっているのに動機がさっぱりわからないのです。
トキタ自身がわからないといっているのですから、読者にはまったく分かりません。
そしてこれが、「時間商人 不老不死、二度売ります」の大テーマなのです。
何故時間商人は存在するのか
何故不老不死であるトキタとカナタは「生きている」のか
何故○○はこの世に存在するのか
この「何故?」に対して、ラストで物語全体を総括するオチがあるのですが、そのオチに持っていくために、前半から「何故だろう、わからない、不気味だ」と感じさせる構成、これがとても楽しいのです。
結論から言えば「こういう目的があってやっている」という明確な何かはないのです。無いんですが、オチている。
すべてのものは、必要とされるからこの世にある。
だから、時間商人も存在している。
この世に誰からも必要とされていないものは存在しない。
だから、時間商人は存在してもいい。
不老なるもの。寿命のないもの。○○についての知識は持っていたはずですが、オチにそれが収まるまで完全に忘れていました。オチにそれがきて「ああ!」と納得する快感は一番の見所じゃないかなと思います。
*利他行為と生存努力
第二章のクリスマスの話です。
利他行為と生存努力。ちょっとした「ドーキンス的な要素」なのですが、こうしたエピソードが「不老不死を扱った話」に織り込まれていることが、実に自分好みの展開だったのでニンマリしてしまいました。(この部分でピンポイントに面白さを感じてワクワクするひとはこのblog読者でも少ない気がしますが……)
利己的な愛も美しいというトキタのセリフは良い読後感です。
全体的に、平和だけれど斜陽な管理社会を舞台にした叙情的ディストピア小説のような味わいがあると思います。美しく枯れている感じというか。
*トキタの正体はニャル
そのままです。どうしてもトキタがニャルに見えてしまうのです。
出だしから時間商人の動機が分からず、「この人は何が真の目的で不老不死を売っているんだろう」「人類の様子を見て楽しんでいる超越した何かなのか」「ただ乱数を与えること自体が目的なトリックスターなのか」「むしろニャルなんじゃないか」と考えているうちに読み終わってしまいました。
第一章から「ニャルっぽい」印象を持ってしまったせいか、今でもトキタがニャルに見えて仕方ありません。
トリックスター的な要素もありますが、それ以上に「人類以外のなにか」発言が原因だと思います。真っ先に連想したのがアザトースでした。
だからって何でトキタニャル説に飛躍するんだとは思いますが、空耳と同じで「一度そう見えてしまうとそうとしか思えない現象」が……いやでもトキタ白いよね!なんでニャルに見えたんだろう。不思議!
追記:トキタといえば朱鷺田祐介氏(退魔生徒会のGM)、朱鷺田祐介氏といえば戦国クトゥルフなので、トキタ→朱鷺田祐介→ニャルという連想ゲームが無意識のうちにあったのかも。
時間商人 不老不死、二度売りますの感想です。
オチがよく、オチを読んでからもう一度読み返すと見えなかった部分が分かり、改めて本全体が面白かったと言える作品でした。
前半の不安定さや、設定に突っ込みどころを探させる部分が、オチでストンとはまる、カタルシスのある作品だと思います。
トキタのセリフが良いんですよ。生きる意味に対する返答とか。
ところでここは作者のblogでしょうか
http://kanata-no-sunadokei.blog.so-net.ne.jp/
あらすじ(公式サイトより)
「オサヤマの味方です」トキタは不敵に笑う
不老不死を必要とする者の前に、時間商人の助手は白猫を連れて現れる。世界的な経営者の長山豪介、献身的な新薬開発者の佐原修、姿をみせない公園の何者か。それぞれの理由から死を遅らせたいと願う彼らに提示される、時間商人トキタの契約。寿命か金銭を支払えば、トキタは特別な10年間を提供する。それは老いず、怪我や病気が進行せず、絶対に死なない「期間限定の不老不死」。トキタの店に足を踏み入れた人々は、数奇な運命に導かれていく――。
短編連作形式なので登場人物は多めです。ここではメインだけ紹介します。
トキタ
時間商人。常にスーツで全身白尽くめ。柔和で軽い話し方と表情を見せないサングラスが相まって、トリックスター的な印象を漂わせる。
カナタ
時間商人の助手。不老不死サイドから読者視点の代理人となってくれる存在。連作短編形式で各章ごとに主人公がいる本作で、全体の大テーマでの主人公。
*動機の見えない不気味さ
時間商人の商売は、不老不死を売ることです。
不老不死と言っても制限つきで、販売単位は10年間。つまり、10年だけ歳を取らず、死にもしない体になると言うことです。
いかなる要素によっても生体ホメオスタシスが変動せず、ネルギー代謝が完全に「自己完結」する。そういう体になるようです。
不老不死系の話で自分が一番「どう処理するのか」注目するのは、死なない肉体になることで意識がどのように変容するかということです。
何度目だと言われそうですがBRAIN VALLEY(何度目だ)では、記憶(ひいては意識、心)はレセプター間の化学物質のやりとりだということが、前半のスーパー蘊蓄タイムの半分ぐらいを裂いて語られます。
意識とは、脳内の物質の移動で出来ているわけです。この移動には当然エネルギーを消費します。エネルギーの過不足が物質の移動に影響を与えるとも言えます。エネルギーの供給量は、健康や環境で変化します。
空腹、病気、怪我、「死」に直面する状況。そういったもので、脳内の物質の動きは変えられてしまい、結果的に意識にも影響する。そこからスーパー神タイムまで走っていく小説がBRAIN VALLEYなのだ、ということを22日の日記に書いたと思います。
ということは、逆に言えば、「死なない」「変わらない」「飢えない」ということも、脳内の物質の動きに影響を与え、意識に変化をもたらすはずです。
脳(意識)の発達は、生存努力の器官・戦略として進んだものであり、死なない=生存努力をする必要がない状態になれば、機能が衰えていくかもしれません。
「不老不死になっても意識が変容しないのはおかしいと」思う根拠はここにあります。
その点、時間商人では、「不老不死のタイムリミット」によって、うまく意識問題をすり抜けている気がします。
永遠に不老不死なのではなく、「10年間だけ」死ににくい体になる、つまり根源には「いつかは死ぬ」=「生存努力が必要」というのが残っているわけです。
また、もう一つ予防線と言うか、エネルギーを自己生産できるけれど、感覚として空腹は存在するし、空腹を放置するとストレスになる、という設定があります。死なないことにより生存努力をしなくなり、結果的に意識の活性が落ちることへの予防線設定となります。
本来「空腹感」とは生存努力のための警鐘ではないか、という疑問があると思いますが、これらは脳内でも原始的な分野、小脳などが司る部分になります。これらは肉体の変容から受ける影響に比較的強いので、10年間死ななくなった程度ではなくならない、と考えてもそんなに不自然ではありません。
かなり長期間不老不死を続けているトキタにも空腹があります。最初は「他の不老不死者に合わせるためか?」と思った設定なのですが、オチを見てなるほどと感じた部分の一つです。
トキタの意識は活性が衰えている様子はありません。不老不死を続けていてもトキタは生存努力(に起因するのであろう意識の高活性)を維持している様子です。
ここで疑問が出てきます。
「10年限定ではなく、ガチ不老不死の時間商人はどんな意識を持っているの?」
先に結論を言えば、トキタは「不老不死になったことで不老不死の精神になっている」ので、「人間とは精神構造が違う」のです。
読み始めの頃は「不老不死になっても精神は人間のまま変わらないアレかな」と思ったのですが、ラストになると「いや、これはしっかり人ならざる視点、人外に変容しているじゃないか」と思いました。
人ならざる意識、その精神は未知のものであり、不気味です。トキタ単体は不気味なキャラクターではありません。時間商人の動機が見えないことが、不気味さを作っています。
なにしろ、不老不死を売るというのですから、とんでもない商売です。
神の慈善事業か、悪魔の戯れか、それほどのことをやっているのに動機がさっぱりわからないのです。
トキタ自身がわからないといっているのですから、読者にはまったく分かりません。
そしてこれが、「時間商人 不老不死、二度売ります」の大テーマなのです。
何故時間商人は存在するのか
何故不老不死であるトキタとカナタは「生きている」のか
何故○○はこの世に存在するのか
この「何故?」に対して、ラストで物語全体を総括するオチがあるのですが、そのオチに持っていくために、前半から「何故だろう、わからない、不気味だ」と感じさせる構成、これがとても楽しいのです。
結論から言えば「こういう目的があってやっている」という明確な何かはないのです。無いんですが、オチている。
すべてのものは、必要とされるからこの世にある。
だから、時間商人も存在している。
この世に誰からも必要とされていないものは存在しない。
だから、時間商人は存在してもいい。
不老なるもの。寿命のないもの。○○についての知識は持っていたはずですが、オチにそれが収まるまで完全に忘れていました。オチにそれがきて「ああ!」と納得する快感は一番の見所じゃないかなと思います。
*利他行為と生存努力
第二章のクリスマスの話です。
利他行為と生存努力。ちょっとした「ドーキンス的な要素」なのですが、こうしたエピソードが「不老不死を扱った話」に織り込まれていることが、実に自分好みの展開だったのでニンマリしてしまいました。(この部分でピンポイントに面白さを感じてワクワクするひとはこのblog読者でも少ない気がしますが……)
利己的な愛も美しいというトキタのセリフは良い読後感です。
全体的に、平和だけれど斜陽な管理社会を舞台にした叙情的ディストピア小説のような味わいがあると思います。美しく枯れている感じというか。
*トキタの正体はニャル
そのままです。どうしてもトキタがニャルに見えてしまうのです。
出だしから時間商人の動機が分からず、「この人は何が真の目的で不老不死を売っているんだろう」「人類の様子を見て楽しんでいる超越した何かなのか」「ただ乱数を与えること自体が目的なトリックスターなのか」「むしろニャルなんじゃないか」と考えているうちに読み終わってしまいました。
第一章から「ニャルっぽい」印象を持ってしまったせいか、今でもトキタがニャルに見えて仕方ありません。
トリックスター的な要素もありますが、それ以上に「人類以外のなにか」発言が原因だと思います。真っ先に連想したのがアザトースでした。
だからって何でトキタニャル説に飛躍するんだとは思いますが、空耳と同じで「一度そう見えてしまうとそうとしか思えない現象」が……いやでもトキタ白いよね!なんでニャルに見えたんだろう。不思議!
追記:トキタといえば朱鷺田祐介氏(退魔生徒会のGM)、朱鷺田祐介氏といえば戦国クトゥルフなので、トキタ→朱鷺田祐介→ニャルという連想ゲームが無意識のうちにあったのかも。
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