ダヴィンチコード読み終わって天使と悪魔買ってきた
2009年3月12日 読書昨日の日記を書いてから駅内の本屋で天使と悪魔を買ってきました。
「これであとは量子力学か精神物理学か大脳生理学か進化人類学もしくはその全部絡めてくれたら完璧だったのに」と書いた直後に素粒子物理学ネタが出てきて吹いた。
まあ、この偶然はそこまで驚くことでもないと思います。
天使と悪魔序盤にも出てきますが、あ、ちなみに上巻まで読みました、「世界を知りたい」という知的欲求が、宗教や科学の”根”です。
何故自分は存在するのかについて、神を用意したのが宗教で、ちょっとそことは違う方向から見ているのが物理学なわけです。
そして、素粒子のような「物質として考えうる最小の存在」について研究することは、「なぜ世界はあるのか」の様々な考え方(宗教や科学)たちが、かぎりなく接近する行為になります。
そりゃまあ、違うルートを通った走者同士でも、ゴールが同じなら近づきますよね。
観測者問題もそうですが、意識が物質の最小単位に影響している、なんて仮説が出てしまうわけです。
世の中には物理学者から哲学者に転じてしまう人がいます。なぜかというと、なんで世界は存在するのかの「答え」に近づくほど、宗教や哲学との境が低くなっていくので、ころっとシフトしてしまうわけです。
ですから、宗教と素粒子物理学が接近するのは、自然な結果だと思うんですよ。
AIだって、人の心の仕組みを解明するために作ろうとしてるわけじゃないですか。これも宗教や心理学と同根なわけです。だから、場合によって互いの境界が混ざり合うのは、そんなに不思議じゃないし、ダン・ブラウンの小説に量子力学が出てくることは、当然読者から期待されていいはずなんです。
ただ、ブッダは吹いた。キリスト教圏の登場人物には、ブッダが人間だという認識は薄いのかな。それともインドでヒンドゥー教と再融合したとき、神の1柱にいれられてしまったブッダのことだろうか。ここを、「ダヴィンチコードでも出てきたキリストが神の子とされていく過程と同じ変化が、ブッダと創造神についてもキャラクターの中で自動的に起っていた」とするとけっこう楽しい。まあ、登場するキャラクターの演出として言わせているんで、ダン・ブラウンの認識とは別ですけど。
「これであとは量子力学か精神物理学か大脳生理学か進化人類学もしくはその全部絡めてくれたら完璧だったのに」と書いた直後に素粒子物理学ネタが出てきて吹いた。
まあ、この偶然はそこまで驚くことでもないと思います。
天使と悪魔序盤にも出てきますが、あ、ちなみに上巻まで読みました、「世界を知りたい」という知的欲求が、宗教や科学の”根”です。
何故自分は存在するのかについて、神を用意したのが宗教で、ちょっとそことは違う方向から見ているのが物理学なわけです。
そして、素粒子のような「物質として考えうる最小の存在」について研究することは、「なぜ世界はあるのか」の様々な考え方(宗教や科学)たちが、かぎりなく接近する行為になります。
そりゃまあ、違うルートを通った走者同士でも、ゴールが同じなら近づきますよね。
観測者問題もそうですが、意識が物質の最小単位に影響している、なんて仮説が出てしまうわけです。
世の中には物理学者から哲学者に転じてしまう人がいます。なぜかというと、なんで世界は存在するのかの「答え」に近づくほど、宗教や哲学との境が低くなっていくので、ころっとシフトしてしまうわけです。
ですから、宗教と素粒子物理学が接近するのは、自然な結果だと思うんですよ。
AIだって、人の心の仕組みを解明するために作ろうとしてるわけじゃないですか。これも宗教や心理学と同根なわけです。だから、場合によって互いの境界が混ざり合うのは、そんなに不思議じゃないし、ダン・ブラウンの小説に量子力学が出てくることは、当然読者から期待されていいはずなんです。
ただ、ブッダは吹いた。キリスト教圏の登場人物には、ブッダが人間だという認識は薄いのかな。それともインドでヒンドゥー教と再融合したとき、神の1柱にいれられてしまったブッダのことだろうか。ここを、「ダヴィンチコードでも出てきたキリストが神の子とされていく過程と同じ変化が、ブッダと創造神についてもキャラクターの中で自動的に起っていた」とするとけっこう楽しい。まあ、登場するキャラクターの演出として言わせているんで、ダン・ブラウンの認識とは別ですけど。
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