*ネタバレ有り

読み終わった。

やっぱりSFは面白い!

 

*擬人化を扱うかが話を面白くするポイント、とか偉そうなこと書いたら本当にそうなってて吹いた

未知の相手を理解するとき、無意識のうちに相手を擬人化して理解したつもりになってたら、実際はまったく想定の範囲外の相手だった、というブラックオチはSFの定番ですが、「深海のYrr」はそのブラックオチを、「陥りやすい間違い」として取り上げてたのが面白かった。


未知の相手に対して、「こいつは勝てない!こっちが引こう」という方向で進んでいくのもなかなか珍しい気がしました。

いやまあ、勝てない相手から逃げるって話(抵抗するとか打ち倒すとかじゃないもの)そのものはけっこうあるんですが(ジュラシックパークとか)。それだって、目の前の敵から逃げられるかどうかの限定的な逃走劇がほとんどじゃないですか。

「こんなの勝てないのに何やってんの!何やってんの!」がメインになるっていうのは珍しい気がする。

 

海の底から古き支配者がやってくると言う点では、ラヴやん的なホラー感もあるよね。

「深海のYrr」はラヴやん系列じゃないんですが、ラヴやんが魚介類に感じた生理的嫌悪の根底に、深海への形容しがたい恐れがあるんだとしたら、両者はあながち遠くもないのかも。

読者は「逃げろよ!早く逃げろよ!」と叫んでるのに、色々な理由でクライシスに近づいてしまう人物がたくさん出てくるという意味では、ラヴやん的な楽しみが出来ます。

 

*キリスト教を勉強しないとなあと思いました。まる。

これは所謂「キリスト教文化圏じゃないとわかりにくい話」だなあ。

ダヴインチコードもそういわれましたが、アレはダン・ブラウンが懇切丁寧に説明してくれてるので、キリスト教知識が無くても十分楽しいです。

「深海のYrr」も、キリスト教知識が無くても十分に楽しめます。

ただ、作者が想定したような「衝撃」は、キリスト教文化圏の人にしか効果が無いんだろうなあ……ぐらいに感じる。

 

*神の死ぬ段階

そもそも日本人は、ニーチェの「神は死んだ」が理解しにくい土壌にいます。

ニーチェの「神は死んだ」とは、社会規範・道徳のよりどころとしてのキリスト教が、近代になるとその役目を成さなくなったことを指しています。

もともとキリスト教が道徳に根付いていない日本人にとっては、死ぬ以前に生まれてなかったぐらいの感覚なので、体感としてわかりにくいんですね。

「深海のYrr」の「キリスト教文化圏じゃないとわかりにくい話」感も、だいたい同じです。

そうなると逆に、「ニーチェが100年前に神は死んだといったのに、イールショックでさらに打撃を受けるって、神さまって”まだ生きてた”の?」という疑問が出てきます。

「深海のYrr」で重要なのは、むしろこっちでしょうか。科学と折り合いを付けた後の一神教とは何か、その知識があるかどうかです。

ニーチェの「神は死んだ」と、イールショックは、神の死ぬ段階が違うのでしょう。

このへんは、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」にも出てきます。ダン・ブラウンは分かりやすいので、先に読んでおくと感覚が掴めるかも。

 

*人間の合理性

「深海のYrr」を読んでいてこれは楽しいと思ったのは、「時間商人」でも出てきた癌の話でしょう。

癌細胞は宿主を殺します。そうなれば癌細胞も死にます。もし癌細胞がもっと合理的であったのならば、宿主との共存を図るのではないか、という疑問です。

これに対して「深海のYrr」では、癌になるとわかっていても人間が煙草をやめないことを挙げ、人間がまったく合理的ではないことを示します。

そして、この人間が合理的ではないのに対して、イールはなんとも「合理的」なのです。

時間商人で癌の比喩にしてやられ、「深海のYrr」で”命乞いをする癌”となった人類を読む。いやはや、やはりSFは面白い。

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