ウホッ☆ガチムチだらけの120分!!
「309」を見てきました。

違った、「300」を見てきました。

あとダイ・ハード4を見てきました。

主になち目当てです。野沢那智。

 

*マクレーン自重

続きものってびみょーなので怖かったのですが、見たら面白かった。

相変わらずジョン・マクレーンは不死身です。

 

偽ジャッカルの精が出てくるまでが、典型的に「映画でよくある、ありえないハッカーの話」そのままで

最初の10分間は「あーあ、やっちゃった」感がアリアリだったんですが

那智出てきたら吹き飛んだ。

 

もうね、52歳のウィリスが映るたびに、「ハゲを受け入れろ」が思い出されて、もうね。

http://news.livedoor.com/article/detail/3163408/

しばらく軍曹は語尾にウィリスをつけてしゃべるウィリス。

 

*309

世界史選択者的にはツッコミも多かったですが、あれはストーリーとか歴史検証とかそういうことは無視して、ガチムチとビキニパンツを楽しむものです。

そもそもサイヤ人VSミュータントじゃねえか。

ちなみにストーリーは心底どうでもいい映画でした。

最初から全員死ぬって結末がわかってる話だったんで

途中の勝利が死亡フラグにしか見えなかったわけですが。

そんな中、こんなに堂々とビキニパンツを注視してていいのかと思いました。
 

 
*スパルタとアテナイ

そもそもスパルタ人があんなガチムチ集団になった、その理由が

「奴隷が市民の10倍いるから、市民は全員一騎当千の猛者じゃないと、万が一反乱が起こったときとか奴隷と戦えないじゃん」

なんですね。

だから、スパルタ人というのはギリシャの中でも「現実主義と合理性」が発達した部族なんです。

このへんは、プライド先行型のアテナイ人よりも現代人の感覚に近いかもしれない。

アテナイ人がプライドが高いのも、アテナイ人が最初にペルシャとガチって勝ったからなんですが。

(もっとも、アテナイ中心のギリシャ連合VSペルシャであって、スパルタも当然ギリシャ連合に入っていた)

このへん面白くて、元々スパルタとアテナイはライバルだったんですが、戦闘民族のスパルタではなく、アテナイのほうが中心になって「ギリシャの危機」を救ったという先例が、「300」でスパルタが最後まで戦った理由にもなってる。

スパルタは、最初にペルシャが攻めてきたとき※、「アテナイのインテリ商人どもがピンチになったあたりで華麗に助けてやるか」ぐらいにかまえてたんです。

そしたらアテナイが30万のペルシャに対して3万で勝ってしまった。

アテナイの株ストップ高。

それどころか「いつもはデカいこと言うくせに、いざってとき真っ先に駆けつけなかったスパルタは、ペルシャが怖かったんだ」とか言われてですね

もうね、スパルタ戦闘民族の面目丸つぶれですよ。

この屈辱がどうしても忘れられなかったスパルタは、クセルクセスのギリシャ遠征で、ギリシャ連合群撤退のしんがりを300人で守って玉砕という、テルモピュライの戦いに繋がっていくわけです。

※この辺のことは、議会シーンでちょっとダレイオス王(ギリシャ遠征を始めたペルシャ皇帝)の話が出たりしました。

あと軍曹がよくネタにするアテナイの哲学者(プラトン・アリストテレス・ソクラテス)たちが出てくるのは、「300」時代のだいぶ後です。

 

*サイヤ人VSミュータント

スパルタ人の「肉力」もありえなかったですが

それ以上にペルシャは人外に頼りすぎ。

ゾウのありえない大きさは「それはギャグで(ry」という感じで

カルタゴのハンニバル将軍好きである軍曹は、ゾウの扱いのひどさに涙を禁じえませんでした。

 

*クセルクセスすげえww

ペルシャ側の描写の「アレさ」は本当にすごかった。

まず「ペルシャ人」が出てこない!意味わからない!

単純な話で、歴史に詳しくない人でもわかります。ペルシャ=バビロンのあたり。

なぜ黒人wwww

えーと、理論的には「フセイン似」のほうがまだ正しいはずです、クセルクセス。

詳しい話をするとアケメネス朝の時代なんですが、たしかにアケメネスの前ぐらいで、ペルシャはオリエント統一しました。エジプトも配下に納めました。

ペルシャにアフリカ人が居るのも自然でしょう。

しかし使者からクセルクセスに至るまでキャスト黒人て。

しかもよく考えるとエジプト人はアフリカ人だが黒人じゃない。

この後、小国マケドニアからペルシャを大征服するのが、イスカンダルことアレクサンダー大王です。この後っつっても、相当後ですが。

 

まあでもそんなことはどうでもいい。

あの黄金パンツを見てしまった後では。

 

*軍曹が適当にまとめるペルシャ戦争

スパルタは、ギリシャの中では屈指の広大な農地を抱える大農産国。

その豊かさは、諸都市国家の中でもアテナイと首位を争う国力でした。

300で麦畑が映っていたのはこのためです。

スパルタ市民の生活(農地)を支えるのは、市民の10倍の奴隷。

ただし、300には奴隷の話は出てきません。

奴隷あってこそのスパルタなのに。

ちなみに、市民、下級市民、奴隷の全部を合わせたスパルタの総称が「ラケダイモン」

純市民は、圧倒的多数の奴隷を押さえつけるために、「一人ひとりがセガール、もしくはヴァンダム」であることが義務付けられます。

300で、赤ん坊を捨てるとか槍一本持たせて放浪とか、いかにも「漫画だなあ」って部分がありますが

あのへん、史実です。それがスパルタクオリティ。

市民の職業が「専業軍人」なのも史実通りです。

女性の発言力が高いのも特徴です。これも300で再現されてました。

男だけでなく女も、国家総がかりでトレーニングプログラムを組まれ、ブートキャンプ入りが必須となっています。

「次の戦争のために。次の次の戦争のために」がスパルタの基本方針です。

 

対してアテナイは農地が狭く、商業中心の都市でした。

300ではスパルタが「自由を守るため」と言ってましたが

スパルタは民主主義とは毛色の違うガチガチの軍事国家なので

300で言ってた自由とは、むしろアテナイ中心の「ギリシャ文化圏」のことです。

スパルタが強いのは、市民が全員セガールなんだから当然なんですが

アテナイの強さは、民主主義の矜持、ぶっちゃけプライドでした。

なおアテナイはスパルタよりも後進国家です。

それが、ダレイオス一世の第一次ギリシャ遠征で、超大国ペルシャ(アケメネス朝)に勝った。

きっかけは、商売上のトラブルが原因でした。

ギリシャ地方はペルシャから見れば田舎も田舎超ド田舎です。間違っても100万の軍勢で攻めに行くようなところじゃなかった。

ペルシャはその頃、マケドニアだかどこだか(忘れた)が独立抵抗運動をしてるってんで、ちょっと平定に軍を出してたんですが

その独立抵抗運動を支援しやがったのがアテナイ。

アテナイ的には、自分ところの海運商売に有利になるので支援してたんですが

諸々あってアテナイvsペルシャにまで話が発展しちゃったんですね。

で、アテナイはギリシャ連合を組んでペルシャと戦ったんですが

「宗教上の理由」で、この戦いにスパルタは不参加でした。

この戦いを「マラトンの戦い」といいます。マラソンの語源です。

このことでアテナイは株を上げます。勝ったからね。

 

ダレイオス一世が死んだ後、クセルクセスがあとを継ぎます。

いよいよテルモピュライの戦いのある、第二次ペルシャ戦争です。

さすがに100万の兵は言いすぎですが、それでも10万以上は確実に攻めてきました。

最初に負けたため、ペルシャもフルボッコする気満々です。

前回「宗教上の理由」で不参戦だったスパルタは

今回も宗教上の理由で、全軍派遣は不可能になります。

300の通り、レオニダス王と先鋭セガール300人だけがテルモピュライに赴きます。

このとき、結構な数の援軍が諸都市から来てます。300だとアルカディアだけでしたが。

ただし、アテナイからは来てません。

 

テルモピュライの戦いに関しては、不死軍団とか「そんな漫画みたいな」って部分が

史実だったりする罠。

不死軍団ってのは、「一人死んでもすぐ一人追加されて、絶対にいつも一万人確保してる親衛隊」って意味なのですが。

さすがにサイやゾウはフィクションです。

ミュータントも出ません。

実際はけっこうな数が居たギリシャ連合軍は、映画と同じく裏道から回られて挟撃に合います。

そこでスパルタは、各国が撤退する時間を稼ぐため、ギリシャ連合のしんがりを勤めました。

スパルタとしても、前回不参加だったし、今回はギリシャ最強の陸軍として絶対に引けなかった。

3日持ちこたえたってのは、ここのことですね。

もちろん玉砕なんですが。
 

 
さて、スパルタが玉砕してる間、アテナイは何してたかというと。

海戦に備えて準備してました。

テルモピュライの戦いに勝って、進軍してきたペルシャは、アテナイを落とします。

ところがアテナイは、町を放棄して全力を海に集中していました。

サラミスの海戦といいます。かなり入試に出ます。

ペルシャはそりゃあもう大軍団で来てたので、兵站もすごいことになっていました。

ペルシャは、兵站を船を使って本国から持ってきていました。

アテナイはこの兵站と、長旅に疲弊気味のペルシャ海軍をボッコにしました。

ペルシャが追い詰められたのは飢えです。

クセルクセスは、300人のセガールに自分の兵を1万殺されるわ

200隻程度のアテナイ軍に1000隻のペルシャ船を落とされるわで

撤退していきます。

ちなみに国に帰ったら戦争の裏で国内が大荒れで、国内平定でギリシャどころじゃなくなりました。

 

アテナイは、サラミスの海戦に、もてるすべてを投入していました。

スパルタに比べ、アテナイは奴隷が少ない国でした。

アテナイの船は、多くの奴隷が櫂をこぐタイプの軍船でしたが、どうしてもこぎ手が足りません。

そこで、「剣と盾を買えない市民」たちがこいだんですね。

スパルタと違って、というかスパルタ以外のポリスは、自分で剣と盾を買える市民しか戦争できなかったんです。

ところが、海戦だったら、剣と盾がなくても戦える。

通常の戦争と違って、文字通りの「総力戦」です。

アテナイの強さはプライドでした。剣と盾を買えない市民も、背水の陣で「民主主義」を守るために戦いました。

だから、すごく士気が高かった。

 

*ペルシャ戦争と民主主義の関係

軍曹的に本来の専門分野。

が、ここに来て書くのがダレた。

 

*今来た俺に3行でわかるように

「戦争参加して俺つえーになった無産市民が
俺ら戦ったんだから参政権よこせよ!と主張したため
アテナイは完全民主主義制になった」

 

後の「民主主義始まったな」である。

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