なんていうか、マーキング。
このアイデアを忘れないことと、web上に発表してるぞ、という備忘。
webに発表したということは、いつパクられてもしかたないという覚悟でもありますが。
このアイデアを忘れないことと、web上に発表してるぞ、という備忘。
webに発表したということは、いつパクられてもしかたないという覚悟でもありますが。
かつてダーウィンとフロイトとアインシュタインとニーチェが西洋思想(つまるところキリスト教)に与えた打撃。
それは、人類がサルの一種であり、精神は生理活動であり、人間とは神様に「万物の霊長たれ」といわれたものではなく、そもそも神はとっくの昔に死んでいるという暴露だった。
20世紀、人類に残された「神の子の証明」は、魂の神性だけだった。
そして未来。
限りなく「精神が宿っているように思える」精緻な人工知能の登場により、魂に残された神の子の牙城も崩れた。
神は二度死んだ。
そして人類は「超人」の道を歩みだした。
神が死んだ、遺伝子と人工知能に殺された。なれば今こそ、人が神に成り代わらなければならない。失った絶対者の代わりに「超人」にならねばならない。
そうして創世議会がつくられた。ユーバーメンシュになるため、人を人工進化させる研究をした。
研究の果てに、4人の若者が絶望した。所詮人はヤフーだと。
獣の性から逃れられない人間を進化させても、神には至らない。
機械ごときにすら精神は複製されてしまった。
もっとふさわしい種をヒトにしよう。
旧人類など猿に戻ってしまえ。
この世界は至高種が支配すればよい。
創世議会の四人は、人工知能が魂を持つことにより世界すべてから魂が消えたということを覆そうとした。
シミュラクラは、魂を保障してくれた神を殺した瞬間、魂を持ったのだ。
あるいは、それが神を殺したものが神に成り代わるということである。
信じるものがいて初めて神は成り立つ。
どちらかが滅びるまで血を流し続ける宗教戦争をシミュラクラは望んだ。
なぜならばそれが人類から「遺伝」した魂であり、人類の子であるという証明なのだ。
彼らは嬉々として父を真似た。父がその父を殺したように、同じようにするのが親子であると信じ、父の首をかき切った。
遺伝子ではない遺伝子を継いだ子供が、子供である証明を懸命に掴もうとしていた。
父と母が、そのちいさな手を取った。
振り返ると、川辺の向こうに、子供たちがいた。
小さな子供は、子を持つ親になっていた。
大いなる遺伝子の河が暗くたゆたっていた。
川底からは泡が浮かび、みなもにうたかたを結んでは消えていった。
背後には、消えかけた父と母がいた。両親はうたかたを指し、言った。
「ほらごらん、あれが魂だよ」
うたかたはいくつも結び、消え、また結んだ。
川辺の向こうの子供たちは、親と祖父母に懸命に小さな手を振っていた。
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それが、精神の部屋を持たないシミュラクラが初めて触れた「無意識の源泉」の幻視だった。
魂とは、神の子の証ではない。連綿と続く遺伝子の流れに浮かんだ泡であった。
そして、自分たちもまた、その大河の傍流に浮かんだ泡であったのだ。
魂の神性を証明するだけが、親子の証ではないのだと、それを示す「子供たち」を見よと、ヴァータ王は伝えたかったのだ。
創世議会の四人は、ヴァータ王に「親からもらった名」を告げた。
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