昨日深海のYrrの感想で、人類を「命乞いをする癌」と書いたのですが

癌が命乞いをする話と言うのがあったら面白いんじゃないだろうか。

人体の一部が人間とは別の独立した意思を持つというとパラサイトイブのようですが、「人間に極めて有害で危険なものが意思を持ち、人間に対し滅ぼさないでくれと命乞いをしている」という状況であれば、人体の一部でなくてもいいでしょう。

この場合ポイントは、命乞いをしてくる相手を、人間の存在が無ければ生きられないもの(それこそ癌細胞のように)に設定すること。

人類を殺してしまったら、彼らもまた破滅だし、かといって人類が彼らを本気で駆逐し始めても困る。もう「共存」しか生き残る道はないという必死さがポイント。

それが存在する限り、確実に人間に害を及ぼすという設定にして、そこで命乞いをされたとき、人間がどう切り返すかですね。人類にとって「生かすメリットが無い」ほうがより面白いでしょう。

その上でこれを二重構造にして、イールみたいな存在を用意し、今度は人類が命乞いをする立場になる構図を入れる。

これによって、癌に対しての仕打ちがすべて人類に跳ね返る構図が完成する。もちろん、イールみたいな存在にとって人類は「生かすメリットが無い」というのが面白くなるポイント。

なかなか面白そうなギミックなので、ネタストックに入れておこう。

 

*見切れる

見切れるという言葉を見るようになったのはblogからだった気がする。

昨日言葉の意味を調べて、本来の用法が真逆の意味だったので驚いた。

本来の「見切れる」は、ADやカンペなどが画面に入ってしまうこと、「画面に映ってはいけないものが映ってしまう」ことを指す。

ネットなどで使われる意味は「写真にきちんと全身が映っていない」など、「見えて欲しい部分が切れてしまっている」のニュアンスで使う。

この逆転について、Yahoo!辞書には「視聴者はその語感から、逆の使い方をするようになったとみられる。」と書かれていた。

http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2006000009

うーん、そうかもしれないし、それだけじゃないかもしれない。

というか、テレビ業界用語だと知らずに「見切れる」と聞くと、「技を見切る」や「ボールを見切る」といった、動体視力関係の言葉に聞こえると思うんだけどどうだろう。

見切るには「見破ってやるぞ」という意思が含まれるんじゃなかろうか。

これは、視聴者にとっては「今こそ隠されたテレビの裏側見切ったり」という意味では、「ADがちょっと映っちゃった」=「視聴者にとって隠された秘密が暴かれるチャンスだったのにちょっとしか映らなかったので残念だ」が成り立つような気がする。

つまり「画面に映ってはいけないものが映ってしまう」と「見えて欲しい部分が切れてしまっている」は、正反対なのではなく同じものの裏と表なんじゃなかろうか。

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