ケータイ小説とニコニコ動画からのプロデビューは同じ構造らしい
2009年4月8日 アニメ・マンガなるほどなー。
つまりこれらは全部、電車男型のメディアなわけだ。司会進行役(出版されるときはこれが作者になる)とオーディエンスが作り上げていくタイプの。
ケータイ小説についてググったら、「作者に毎日3ケタの感想メールが届いた」と言うのを見て
「これは本当に地球上の出来事なのか?」と思いました。
だって、普通web小説に感想が3ケタ来るとかありえないし。
でも、これをニコ動のコメントとか電車男スレとかに置き換えると、人気トップレベルの作品なら3ケタくるのもあるあると思えるから不思議。
そして改めてケータイ小説は小説じゃねえと確信しました。
小説には、毎日3ケタも感想こねえよ。
この点から見てもケータイ小説は、掲示板、チャット、動画コメントサイトに類するものなのは確定的に明らか。
そうなると不思議なのは、何故ケータイ小説は商業化への抵抗が少ないのか、です。
完全に作者一人の労力で作り上げる「スタジオひとり」な作品(新海誠みたいな)ならともかく、ケータイ小説が「野次馬参加型メディア」ならば、野次馬たちの心には「このケータイ小説はわしが育てた」心理が芽生えると思うんです。
そういう作品は、商業化→作者だけ印税入る→育てたのは俺のなに何故俺には印税(作品を作ったものが受けるべき評価)が入らないっていう流れで、抵抗を受けるきがするんですが、ケータイ小説にはそういう抵抗があったことを聞かないんです。
匿名掲示板やニコ動は、商業化を嫌がる声が大きいですよね。声が大きい人が商業化に難癖つけてるといったほうがいいのかな。
「才能は無駄遣いされるから面白い」っていう考え方。
才能が無駄遣いされない、つまり「才能で稼ぐ」という、有る意味当たり前のステップアップに対して、失望したりする流れみたいなものを感じるんですよ。
なんだろうなー、この違い。
でも、「振り込めない詐欺」って言葉もあるから、全部が全部ってわけじゃなくて、うるさく言われるタイプの作品と、全面的に商業化が祝福される作品とがあるのかもしれない。
*おはオーガ!木場勇治こと勇ちゃんだホ!
*>この定型が流行らないのも乾巧って奴の仕業なんだ
*なんだって!?
*それは本当だホ!?
なんかおはオーガ!勇ちゃんだホ!が新しい流行になりつつあって戦慄した。
つまりこれらは全部、電車男型のメディアなわけだ。司会進行役(出版されるときはこれが作者になる)とオーディエンスが作り上げていくタイプの。
ケータイ小説についてググったら、「作者に毎日3ケタの感想メールが届いた」と言うのを見て
「これは本当に地球上の出来事なのか?」と思いました。
だって、普通web小説に感想が3ケタ来るとかありえないし。
でも、これをニコ動のコメントとか電車男スレとかに置き換えると、人気トップレベルの作品なら3ケタくるのもあるあると思えるから不思議。
そして改めてケータイ小説は小説じゃねえと確信しました。
小説には、毎日3ケタも感想こねえよ。
この点から見てもケータイ小説は、掲示板、チャット、動画コメントサイトに類するものなのは確定的に明らか。
そうなると不思議なのは、何故ケータイ小説は商業化への抵抗が少ないのか、です。
完全に作者一人の労力で作り上げる「スタジオひとり」な作品(新海誠みたいな)ならともかく、ケータイ小説が「野次馬参加型メディア」ならば、野次馬たちの心には「このケータイ小説はわしが育てた」心理が芽生えると思うんです。
そういう作品は、商業化→作者だけ印税入る→育てたのは俺のなに何故俺には印税(作品を作ったものが受けるべき評価)が入らないっていう流れで、抵抗を受けるきがするんですが、ケータイ小説にはそういう抵抗があったことを聞かないんです。
匿名掲示板やニコ動は、商業化を嫌がる声が大きいですよね。声が大きい人が商業化に難癖つけてるといったほうがいいのかな。
「才能は無駄遣いされるから面白い」っていう考え方。
才能が無駄遣いされない、つまり「才能で稼ぐ」という、有る意味当たり前のステップアップに対して、失望したりする流れみたいなものを感じるんですよ。
なんだろうなー、この違い。
でも、「振り込めない詐欺」って言葉もあるから、全部が全部ってわけじゃなくて、うるさく言われるタイプの作品と、全面的に商業化が祝福される作品とがあるのかもしれない。
*おはオーガ!木場勇治こと勇ちゃんだホ!
*>この定型が流行らないのも乾巧って奴の仕業なんだ
*なんだって!?
*それは本当だホ!?
なんかおはオーガ!勇ちゃんだホ!が新しい流行になりつつあって戦慄した。
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