久遠の河(DVD付)
2009年4月14日 音楽
*音楽の知識が少ないことが原因かもしれないが
alanの「久遠の河」がアニソンっぽい。
久遠の河をまだ聞いたことがない人は、webの視聴などで聞いてみて欲しい。
アニソン、というかゲーム主題歌っぽい。
ゲーム主題歌っぽいといっても、電波系とかでは当然なくて、強いて言うなら「Suaraとかkokiaとか石川智晶が久遠の河歌ってたら間違いなくアニソンだった」といえばわかるだろうか。
つまり、Suaraとかkokiaとか石川智晶が歌ってそうな「いかにも」さなのだ。
Suaraでいえば「BLUE」、kokiaで言うなら「調和 oto ~with reflection~」。丁度このあたりに分類される「それっぽさ」。
この「それっぽさ」は、「ヒンデミットの弦楽と金管のための協奏音楽(http://www.youtube.com/watch?v=s3BRFYc9LOw)がFFっぽい」と同じ。
自分が音楽に詳しくないだけか、実際にその傾向にあるのかわからないけれど、こうした「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」、たとえば清浦夏美の「旅の途中」みたいな歌は、アニソンにはよく使われるものの、アニソン以外(CMとか)では最近見かけない気がする。
そのせいで、「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」である久遠の河が、異様にアニソンっぽく聞こえる。
色々思い出した結果、アニソン以外でコレに該当するのが元ちとせの「ワダツミの木」。あとはおおたか静流の「SAJA DREAM」。
何故殊更「それっぽさ」を感じるのかを考えてみたんだけど、久遠の河を作曲した岩代太郎氏が、インタビューで、「レッドクリフの主題曲は、音の使い方が少し古い(意図的に古い音の使い方をしている)。けれど野暮ったくはならない按配にしてある」と言うようなことを言っていた。
これもひとつ原因かもしれない。つまり、アニメやゲームでしばしば主題歌に使われる綺麗な曲は、やや古い音の使い方をしている、という可能性。
久遠の河については意図的に少し古い音の使い方をしたという発言は見つからなかったのだけれど、久遠の河はレッドクリフの主題曲「The Beginning」を母体にした歌で、The Beginningについて意図的に少し古い音にした、と言っているので、久遠の河もやや古いテイストを意識していると見ていいと思う。
もしくは、民族系の音を使いたがる傾向。
アニソンやゲーム音楽と言うのは、やたら「民族系の音」が好きである。
アニソン以外のタイアップ曲は、そんなに民族系を使いたがったりしないし、ましてや民族系を売りはしない気がする。
それに慣れすぎたため、民族系の音が使われていると「これアニソンっぽい」と思ってしまう可能性。
あとは、作品のジャンル。
レッドクリフは三国志なわけで、三国志モノのアニメやゲームは大量に出ている。つまり三国志はアニメやゲームと親和性が高い。
結果として、三国志用に作られた曲は、(三国志が題材になる)ゲームやアニメの曲と似る、という可能性。
アニメは実写よりも「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が合うジャンル(憧憬もの、ファンタジーものなど)をやりやすいため、結果的に「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が使われる。
ORIGAの「水のまどろみ」をアニメとゲーム以外で使おうとすればどういう作品になるか、と逆に考えていけばわかりやすいかも。
SAJA DREAMは映画の主題歌だけど、「鉄塔武蔵野線」はまさに憧憬ものジャンルだったわけで。
竹内まりや「天使のため息」が使われた「秘密」はジャンルでいえばファンタジーだろうし、中嶋朋子「草の想い」が使われた「ふたり」はたぶん赤川ジュブナイルに分類されるだろうし、「鉄道員」も実はファンタジーだったりと、憧憬もの&ファンタジーもの実写作品でも「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が起用される傾向はあるらしい。
アニメやゲームで憧憬もの&ファンタジーものが多く作られて、「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が沢山起用された。それが逆転するというか、ジャンルに関わらずアニソン全体に広く浸透したんだろうか?
さて、真の理由は。
alanの「久遠の河」がアニソンっぽい。
久遠の河をまだ聞いたことがない人は、webの視聴などで聞いてみて欲しい。
アニソン、というかゲーム主題歌っぽい。
ゲーム主題歌っぽいといっても、電波系とかでは当然なくて、強いて言うなら「Suaraとかkokiaとか石川智晶が久遠の河歌ってたら間違いなくアニソンだった」といえばわかるだろうか。
つまり、Suaraとかkokiaとか石川智晶が歌ってそうな「いかにも」さなのだ。
Suaraでいえば「BLUE」、kokiaで言うなら「調和 oto ~with reflection~」。丁度このあたりに分類される「それっぽさ」。
この「それっぽさ」は、「ヒンデミットの弦楽と金管のための協奏音楽(http://www.youtube.com/watch?v=s3BRFYc9LOw)がFFっぽい」と同じ。
自分が音楽に詳しくないだけか、実際にその傾向にあるのかわからないけれど、こうした「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」、たとえば清浦夏美の「旅の途中」みたいな歌は、アニソンにはよく使われるものの、アニソン以外(CMとか)では最近見かけない気がする。
そのせいで、「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」である久遠の河が、異様にアニソンっぽく聞こえる。
色々思い出した結果、アニソン以外でコレに該当するのが元ちとせの「ワダツミの木」。あとはおおたか静流の「SAJA DREAM」。
何故殊更「それっぽさ」を感じるのかを考えてみたんだけど、久遠の河を作曲した岩代太郎氏が、インタビューで、「レッドクリフの主題曲は、音の使い方が少し古い(意図的に古い音の使い方をしている)。けれど野暮ったくはならない按配にしてある」と言うようなことを言っていた。
これもひとつ原因かもしれない。つまり、アニメやゲームでしばしば主題歌に使われる綺麗な曲は、やや古い音の使い方をしている、という可能性。
久遠の河については意図的に少し古い音の使い方をしたという発言は見つからなかったのだけれど、久遠の河はレッドクリフの主題曲「The Beginning」を母体にした歌で、The Beginningについて意図的に少し古い音にした、と言っているので、久遠の河もやや古いテイストを意識していると見ていいと思う。
もしくは、民族系の音を使いたがる傾向。
アニソンやゲーム音楽と言うのは、やたら「民族系の音」が好きである。
アニソン以外のタイアップ曲は、そんなに民族系を使いたがったりしないし、ましてや民族系を売りはしない気がする。
それに慣れすぎたため、民族系の音が使われていると「これアニソンっぽい」と思ってしまう可能性。
あとは、作品のジャンル。
レッドクリフは三国志なわけで、三国志モノのアニメやゲームは大量に出ている。つまり三国志はアニメやゲームと親和性が高い。
結果として、三国志用に作られた曲は、(三国志が題材になる)ゲームやアニメの曲と似る、という可能性。
アニメは実写よりも「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が合うジャンル(憧憬もの、ファンタジーものなど)をやりやすいため、結果的に「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が使われる。
ORIGAの「水のまどろみ」をアニメとゲーム以外で使おうとすればどういう作品になるか、と逆に考えていけばわかりやすいかも。
SAJA DREAMは映画の主題歌だけど、「鉄塔武蔵野線」はまさに憧憬ものジャンルだったわけで。
竹内まりや「天使のため息」が使われた「秘密」はジャンルでいえばファンタジーだろうし、中嶋朋子「草の想い」が使われた「ふたり」はたぶん赤川ジュブナイルに分類されるだろうし、「鉄道員」も実はファンタジーだったりと、憧憬もの&ファンタジーもの実写作品でも「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が起用される傾向はあるらしい。
アニメやゲームで憧憬もの&ファンタジーものが多く作られて、「懐かしさとやや寂しい感じを備えた綺麗な曲」が沢山起用された。それが逆転するというか、ジャンルに関わらずアニソン全体に広く浸透したんだろうか?
さて、真の理由は。
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