ニャル子さんがアキバblogに載ってて吹いた
2009年4月16日 読書すげえ。すげえよニャル子さん。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50827954.html
*ネタになると言う点ではアリ……なのか?
ニャル子さんもオルキヌスもダン・サリエルも読んでしまい、一応小川一水を買っておいたんですが1巻でしかもハルキ文庫という「2巻が読みたくなったときどこにも売って無くて死亡」フラグが見えてたので、カウンセラー完全版を買いました。
松岡圭祐は、旧催眠と催眠完全版を読んでいたんですが、カウンセラーは旧版も読んでいなかったので新鮮に楽しめました。おもしろい。
でも、あの表紙は……ない!
ラノベ以外の小説で表紙を気にすることはほとんど無いんですが、角川のカウンセラー完全版……あの表紙は…ギャグでやってるのだろうか…
最近読んだもので、表紙が良かったのは深海のYrr。
そもそも、書店に行くたびにいつも目に入るインパクトが深海のYrrを手に取った理由なので、やっぱり表紙は大事です。そりゃ人間失格も売れるわ。でも黒のトイフェルまで同じにしなくても!
そして角川のカウンセラー完全版……
一回見たら忘れられないと言う点では狙い通りなのかもしれない。あやしすぎるよ!
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50827954.html
*ネタになると言う点ではアリ……なのか?
ニャル子さんもオルキヌスもダン・サリエルも読んでしまい、一応小川一水を買っておいたんですが1巻でしかもハルキ文庫という「2巻が読みたくなったときどこにも売って無くて死亡」フラグが見えてたので、カウンセラー完全版を買いました。
松岡圭祐は、旧催眠と催眠完全版を読んでいたんですが、カウンセラーは旧版も読んでいなかったので新鮮に楽しめました。おもしろい。
でも、あの表紙は……ない!
ラノベ以外の小説で表紙を気にすることはほとんど無いんですが、角川のカウンセラー完全版……あの表紙は…ギャグでやってるのだろうか…
最近読んだもので、表紙が良かったのは深海のYrr。
そもそも、書店に行くたびにいつも目に入るインパクトが深海のYrrを手に取った理由なので、やっぱり表紙は大事です。そりゃ人間失格も売れるわ。でも黒のトイフェルまで同じにしなくても!
そして角川のカウンセラー完全版……
一回見たら忘れられないと言う点では狙い通りなのかもしれない。あやしすぎるよ!
10日にGA文庫買いに行ったら売ってなかった
2009年4月14日 読書ニャル子さんまだ買えてないっつーの。
仕方なく断章のグリムとソードアートオンラインだけ買ってきた。
*4月のGA文庫
・這いよれ! ニャル子さん
・オルキヌス 稲朽深弦の調停生活
・神曲奏界ポリフォニカ ダン・サリエルとイドラの魔術師
実はこの中で一番楽しみなのはダン・サリエルだったりする。
ついにポリフォニカに手を出しました。他は読んでないですがダン・サリエルはおもしろい。
コミックマスターJで、凡才の漫画家にはすごすぎる漫画を見ても何がすごいのかわからないというネタがありましたが、ダン・サリエルの1巻はまさにそういう話で非常に面白かった。
そんなベッタベタな青さとサリエルの俺様キャラ、モモの小動物系な可愛らしさが小気味良い作品。
*断章のグリム10
ギャー
あいかわらずえっぐいな!知ってたけど!えっぐいな!知ってるけど!
今まで意識せずに
ブチィ
とか使ってましたが今後は意識せずに使えない。
畜生、すげえ怖くて悔しかったのでみんなも断章のグリム読んで肝を冷やすがいいよ!
仕方なく断章のグリムとソードアートオンラインだけ買ってきた。
*4月のGA文庫
・這いよれ! ニャル子さん
・オルキヌス 稲朽深弦の調停生活
・神曲奏界ポリフォニカ ダン・サリエルとイドラの魔術師
実はこの中で一番楽しみなのはダン・サリエルだったりする。
ついにポリフォニカに手を出しました。他は読んでないですがダン・サリエルはおもしろい。
コミックマスターJで、凡才の漫画家にはすごすぎる漫画を見ても何がすごいのかわからないというネタがありましたが、ダン・サリエルの1巻はまさにそういう話で非常に面白かった。
そんなベッタベタな青さとサリエルの俺様キャラ、モモの小動物系な可愛らしさが小気味良い作品。
*断章のグリム10
ギャー
あいかわらずえっぐいな!知ってたけど!えっぐいな!知ってるけど!
今まで意識せずに
ブチィ
とか使ってましたが今後は意識せずに使えない。
畜生、すげえ怖くて悔しかったのでみんなも断章のグリム読んで肝を冷やすがいいよ!
チャイルド44上巻まで読んだ
2009年4月7日 読書ここ最近は会社帰りに2冊本を買って帰りの電車と次の日の朝出勤で1冊づつに読み終わってまた帰りに2冊買うぐらいのスピードで本を消化しているので、買った読んだと報告していない本位外にも読んでます。というか、ここまでくるととりわけ面白かったもの以外はいちいち日記に書かないと言うか。
つまりチャイルド44は面白い。
日記に書かない以外にも読んでいる中には、けっこう角川ホラー文庫が入ってて、このレーベル中身も表紙もラノベでいいじゃねえかむしろカラー扉と挿絵増やしてラノベになったらたぶん読者は喜ぶよ特に表紙が安倍吉俊のやつ、と思うんですが、いやはやチャイルド44、角川ホラー文庫から出ているホラー小説より怖い。ちなみにチャイルド44は新潮文庫。
新潮文庫はしおり用のヒモが付いてるんですが、これが家や昼休みに読書してるとき、湯飲みやマグカップの中に入って残念な事になるのは自分だけじゃないはずだ。
ディストピアもののSFが好きなので、自分で考える話は大抵その系統だし(モロー博士の島とかバルニバービ系)、先日感想を書いたベガーズ・イン・スペインも「ディストピアSFとして読んで面白い」と書きました。でもこれはディストピアものの「SF」だから面白い…要するにワクワクするとか興奮するとか、そういう感想なわけです。
実在したトマス・モアのユートピアであるソビエト連邦というのは、これは非常に「怖い」。
ディストピアもののSFが面白いのは、ディストピアを可能にするSFな技術があって、言い換えれば「ソ連の失敗」を技術で克服しているからこそ「そこからどうする」という面白みが有るわけです。
ソ連ネタと言うのは結末が暗いとわかっているわけで「怖い」。
ホラーの怖さは、先が見えない、未知であるからこその不気味さと言うのがあると思いますが、ソ連ものの怖さと言うのは、進むも地獄戻るも地獄の未来が上家下家対面オープンリーチなのに、それでも牌を切らなきゃならないところにある気がします。
まだ上巻だけなので結末はわからないですが怖い。
つまりチャイルド44は面白い。
日記に書かない以外にも読んでいる中には、けっこう角川ホラー文庫が入ってて、このレーベル中身も表紙もラノベでいいじゃねえかむしろカラー扉と挿絵増やしてラノベになったらたぶん読者は喜ぶよ特に表紙が安倍吉俊のやつ、と思うんですが、いやはやチャイルド44、角川ホラー文庫から出ているホラー小説より怖い。ちなみにチャイルド44は新潮文庫。
新潮文庫はしおり用のヒモが付いてるんですが、これが家や昼休みに読書してるとき、湯飲みやマグカップの中に入って残念な事になるのは自分だけじゃないはずだ。
ディストピアもののSFが好きなので、自分で考える話は大抵その系統だし(モロー博士の島とかバルニバービ系)、先日感想を書いたベガーズ・イン・スペインも「ディストピアSFとして読んで面白い」と書きました。でもこれはディストピアものの「SF」だから面白い…要するにワクワクするとか興奮するとか、そういう感想なわけです。
実在したトマス・モアのユートピアであるソビエト連邦というのは、これは非常に「怖い」。
ディストピアもののSFが面白いのは、ディストピアを可能にするSFな技術があって、言い換えれば「ソ連の失敗」を技術で克服しているからこそ「そこからどうする」という面白みが有るわけです。
ソ連ネタと言うのは結末が暗いとわかっているわけで「怖い」。
ホラーの怖さは、先が見えない、未知であるからこその不気味さと言うのがあると思いますが、ソ連ものの怖さと言うのは、進むも地獄戻るも地獄の未来が上家下家対面オープンリーチなのに、それでも牌を切らなきゃならないところにある気がします。
まだ上巻だけなので結末はわからないですが怖い。
ケータイ小説に対する認識が少し変わった
2009年4月3日 読書ケータイ小説は、実はかなり読者に対し「高度なこと」を求めている。
これに気が付いて、その上であれだけ売れているのに改めて驚いた。
たとえば、本歌取りの和歌を理解するには、和歌の古典名作に精通している必要がある。
ケータイ小説も、文章技術の練度としては低いのにあれだけの読者がいて「感動した」と言っているのは、バックボーンに和歌知識がなければ本歌取り和歌が理解できないのと構造は同じだ。
ケータイ小説は、バックボーンに「ケータイ小説作者と同世代の女性がもつ感覚」を持たないと、技巧レベルの低い文章としか読み取れない。
「アレ」で通じる人間以外にはアレがなにを意味するのか分からない法則だ。
はっきりいって、ケータイ小説の求めてくる「前提」は、かなり高度だ。
「前提知識が少ない者も楽しませてこそエンターテイメントだ」という考えで行けば、ケータイ小説はかなり駄目な部類になる。
けれど、限られた(選ばれた)読み手にしか通じない「からこそ」通じる者にとっては最高に「イイ」んだ、ということだってある。
ケータイ小説が売れてるのは、それが暗号で書かれてて、暗号が読めるものだけがケータイ小説に「選ばれた」んだ、という優越感を与えてるれるからかもしれない。
もちろん、暗号で書かれてるから解読法が分からない者は読み取れないし、読み取れない(ケータイ小説から読者に選ばれない)から「なんだこんなものちっとも良くない」と思うのは当然だと思う。
元々「小説」は「文学」に対して「娯楽に興ずる物」というポジションだ。カタカナを使うならペーパーバックとかパルプフィクションとか、そういうニュアンスの、「文学」からは低俗に見られるようなものだった。
文学が「よく勉強してる者」だけを読者に「選ぶ」ようになったから、読者を選ばない小説のほうがずっと売れるようになったわけで、ある意味文学並みに読者を選んでいるケータイ小説が売れたというのは、やっぱり異様さを感じる。
ケータイ小説はやっぱり小説とは違う。暗号で書かれているというのは、小説の定義と明らかに矛盾している。ケータイ小説はジャンルがケータイ小説だ。
小説と付いてるから紛らわしいんであって、いっそ「ケー説」とか新しい名前のメディアになればいいんじゃなかろうか。
ケータイ小説は色々調べてみたら面白いテーマなのかも。
*小説をつまらなそうに紹介するスレが面白い
みんな一行で紹介するの上手いなあ。
いうなれば、ポートピア連続殺人事件を「犯人はヤス」の一言で説明してしまうスレ。住人のネタレベルがけっこう高くて、良い感じに「だいたいあってる」な作品も多い。
13 この名無しがすごい! :2007/06/12(火) 19:34:31 ID:NKfW8W4a
舞姫
官僚の男が自分がはらませた女を捨ててしまう
とか上手いと思った。
個人的お気に入りは「舞姫」「白鯨」「こころ」「アルジャーノンに花束を」。特にこころは三段オチで良い。
157 この名無しがすごい! :2008/01/13(日) 23:41:47 ID:BgkVQ5jj
こころ
友達を出し抜いて彼女にプロポーズしたら当てつけ自殺された
ので俺も死ぬ
という手紙を知り合いのおじさんにもらった
レビュー書く練習するといいながら、最近単発のレビューはまったく書いてないんだけど、こう、短くまとめて「だいたいあってる」ってのもいいなあ。
深海のYrrなら
Ω<地球は未知の知的生命体に支配されていたんだよ!
Ω ΩΩ<な、なんだってー!
とか。
これに気が付いて、その上であれだけ売れているのに改めて驚いた。
たとえば、本歌取りの和歌を理解するには、和歌の古典名作に精通している必要がある。
ケータイ小説も、文章技術の練度としては低いのにあれだけの読者がいて「感動した」と言っているのは、バックボーンに和歌知識がなければ本歌取り和歌が理解できないのと構造は同じだ。
ケータイ小説は、バックボーンに「ケータイ小説作者と同世代の女性がもつ感覚」を持たないと、技巧レベルの低い文章としか読み取れない。
「アレ」で通じる人間以外にはアレがなにを意味するのか分からない法則だ。
はっきりいって、ケータイ小説の求めてくる「前提」は、かなり高度だ。
「前提知識が少ない者も楽しませてこそエンターテイメントだ」という考えで行けば、ケータイ小説はかなり駄目な部類になる。
けれど、限られた(選ばれた)読み手にしか通じない「からこそ」通じる者にとっては最高に「イイ」んだ、ということだってある。
ケータイ小説が売れてるのは、それが暗号で書かれてて、暗号が読めるものだけがケータイ小説に「選ばれた」んだ、という優越感を与えてるれるからかもしれない。
もちろん、暗号で書かれてるから解読法が分からない者は読み取れないし、読み取れない(ケータイ小説から読者に選ばれない)から「なんだこんなものちっとも良くない」と思うのは当然だと思う。
元々「小説」は「文学」に対して「娯楽に興ずる物」というポジションだ。カタカナを使うならペーパーバックとかパルプフィクションとか、そういうニュアンスの、「文学」からは低俗に見られるようなものだった。
文学が「よく勉強してる者」だけを読者に「選ぶ」ようになったから、読者を選ばない小説のほうがずっと売れるようになったわけで、ある意味文学並みに読者を選んでいるケータイ小説が売れたというのは、やっぱり異様さを感じる。
ケータイ小説はやっぱり小説とは違う。暗号で書かれているというのは、小説の定義と明らかに矛盾している。ケータイ小説はジャンルがケータイ小説だ。
小説と付いてるから紛らわしいんであって、いっそ「ケー説」とか新しい名前のメディアになればいいんじゃなかろうか。
ケータイ小説は色々調べてみたら面白いテーマなのかも。
*小説をつまらなそうに紹介するスレが面白い
みんな一行で紹介するの上手いなあ。
いうなれば、ポートピア連続殺人事件を「犯人はヤス」の一言で説明してしまうスレ。住人のネタレベルがけっこう高くて、良い感じに「だいたいあってる」な作品も多い。
13 この名無しがすごい! :2007/06/12(火) 19:34:31 ID:NKfW8W4a
舞姫
官僚の男が自分がはらませた女を捨ててしまう
とか上手いと思った。
個人的お気に入りは「舞姫」「白鯨」「こころ」「アルジャーノンに花束を」。特にこころは三段オチで良い。
157 この名無しがすごい! :2008/01/13(日) 23:41:47 ID:BgkVQ5jj
こころ
友達を出し抜いて彼女にプロポーズしたら当てつけ自殺された
ので俺も死ぬ
という手紙を知り合いのおじさんにもらった
レビュー書く練習するといいながら、最近単発のレビューはまったく書いてないんだけど、こう、短くまとめて「だいたいあってる」ってのもいいなあ。
深海のYrrなら
Ω<地球は未知の知的生命体に支配されていたんだよ!
Ω ΩΩ<な、なんだってー!
とか。
ニャル子さん検索されすぎじゃね?
それだけ世間の期待度が高いということでしょうか。4月10日発売ということは、電撃文庫の4月新刊と一緒に買うといい感じですね。
※4/15追記
すいません10日には売ってませんでした。
買ってきました。http://15393.diarynote.jp/200904150056296893/
イラストが増えたhttp://15393.diarynote.jp/200904170041386084
ニャル子さんもいいですが、オルキヌスも気になります。オルカの話らしい。オルカですよオルカ。ニャルとか海洋生物とかソフトバンククリエイティブは一体どうしたんだ。
「オルキヌス 稲朽深弦の調停生活」でググっても上位にラノベ系ブログが出てこないあたりにニャル子さんの一方的インパクト勝ちを感じる。
4月は断章のグリム10も出ます。もう10巻か!早いなー。
*ライトノベル各レーベルをどれだけ読んでいるか
最近はほぼ電撃とJIVEしか読んでいないかもしれません。あ、富士見のドラゴンブックがあったか。でもSWが2.0になってから富士見で心が躍るリプレイに当たってない。
*2008年に読んだもの
JIVEがぶっちぎりすぎて吹く。
電撃
狼と香辛料、断章のグリム、土橋真二郎
富士見
たのだん、剣神
スニーカー
該当無し
ガガガ
レヴィアタンの恋人
GA
サーベイランスマニュアル
MF
該当無し
HJ
該当無し
SD
該当無し
一迅
該当無し
FB
該当無し。ところでライドウさんの小説続編まだ?
ハヤカワ
神林
JIVE
エンブリ、トリニティ、ゲヘナ、退魔生徒会
*レーベルごとの印象?代表作とか
電撃
最大手。まあ、わっちとか禁書とか時雨沢とか売れてるなあという印象。
スニーカー
ハルヒ。個人的にはオイレンシュピーゲル。紙の質が「薄くて重い」ので本全体がみっしりしてる。作品傾向は「硬い」かも。
富士見
一昨年ぐらいから、表紙の四角いレイアウトやめたよね。ドラゴンブックもリニューアル。富士ミスはスニーカーの紙質に似てる。
ガガガ
され竜がガガガから出たときはびっくりした。スタート時点からサブカル臭が出てたので、このレーベルはどこに行くんだ?と思ってたら、けっこう電撃と同じ客層でガチにやり合ってて驚いた。講談社BOXっぽくもある。「大長編」が好きな層を取り込んでる気がする。
GA
レーベルとしてはポリフォニカ以外に看板がない感じ。作品一つ一つに対してwebページのつくりが丁寧で驚く。ネットでとりあえず作品を調べてから買おうという人には親切。
棚に差すとなんとなく白くて不安になる。平にするともっと主張しなくて大丈夫か不安になる。サーベイランスマニュアルとか、いい本を出してくれるレーベルなので頑張って欲しいなあ。
MF
棚ざしでは緑色の背表紙が目を引く。平面で新刊台に乗ってるときは高確率でHJと混ざる。強みといえる傾向はお色気方面?レーベル代表作はゼロ魔、えむえむっ、かのこん……うん、エロですね。
「みみっく!」という同人誌を出していたり、作家間で仲よさそう。
HJ
棚ざしで特に目を引くわけでなく、平面で新刊台に乗ってるときは高確率でMFと混ざる。ホビージャパンの看板といえばクイーンズブレイドなわけで……ああ、MFと混ざるってそういう。おっぱいですね。QB以外の看板はなやむところですが…くじ勇かな。
SD
なんとなく垢抜けないオーラを出しているのは気のせいだろうか。たぶん原因はロゴのデザイン。代表作は桜坂洋のAll You Need Is Kill。異論は認める。普通は現代魔法を挙げるだろ。
戦う司書やAll Youのような、「局所受け」する作品を持ってるので、けっこうレーベルカラーは濃い。
FB
まかでみわっしょいが良い意味でのバカに相応しいバカアニメだったんだけどあまり話題にならなくて残念です。今の看板は文学少女だろうけど、それまでは狂乱やまかでみが看板だった。っていうかこの2シリーズ、刊行スピードが速すぎる。ゲームノベライズに強いのは流石。実はFEAR系リプレイも出している。レーベルカラーは判じがたいけど、雑誌のファミ通にカラーが似ている気がするのは自分の思い込みだろうか。ところで小説版ライドウの続編まだ?
個人的に追加
ゼータ文庫
今までレーベルから出た作品が高水準でハズレ本無しという奇跡のレーベル。短命だったけど。レーベルカラーが軍曹の趣味にほぼ合致してる時点で短命は避けられ無かったのかもしれない。
帝立愚連隊とヤクザガールの続編はどこかが引き継いで欲しい。
*深海のYrrレビューを読んでいると、キリスト教に基づいた価値観の部分はよく判らないというのはけっこう共通のものらしい
深海のYrrでは、キリスト教に基づいた価値観が重要なファクターだからこそ、アジアの科学者を除外して話が進む。アジア排斥もまた1つのネタになっている。海洋ネタでありながらオーストラリアの科学者が入ってこないのは何でなのかわからないけど。
とにかく、キリスト教徒(イスラムも含む一神教文化と言ってもいいんだろうけど、深海のYrrの場合はアメリカに悪役を担ってもらうためにキリスト教に絞る必要があったんだろう)でなければ、クライマックスが「二者択一」になりえないのだ。
深海のYrrは、圧倒的クライシスに人間が「折れる」ことが面白さなのだ。イールの存在を「敗北」と感じないと、物語の構成としてクライシスが発生しない。
根底にアニミズムを汲む多神教文化だと、イールを受容してしまうので、立てるのは共存ルートフラグである。「衝撃!超古代文明の飛行物体を発見!」ではなく「ラピュタは本当にあったんだ!」になってしまうのだ。コレの何が問題かと言うと、ラピュタの存在を信じなかった派が、信じる派から「上から見られてしまう」こと。二重の屈辱だ。
深海のYrrはこの古典的な「二重の屈辱」をラストに持ってきた。そういう意味では実に王道SF的で、手法そのものは新しいわけじゃない。まず、聖書の記述が間違っていたことで第一波のショックを受け、ついで「え?進化論が発表されてから100年以上たってまだ人間が特別だって信じてたの?奢りすぎじゃないの(笑)」という目で見られる可能性にその先おびえなければならない第二波が来る。
日本人の宗教感覚では、神は祟る。むしろ祟るから神なのであって、祟るような存在はだいたい人より「上」である。よって、散々祟られた上で祟った主と人間の力関係の話しになると、日本人読者は「こんな当たり前のことで何を驚くのか」になってしまう。
やっぱり、日本は何の畏れもなくロボットを人型にする国だよなと思った。
まあ、製造コストや剛性考えたら、ロボットって半円形で地面を這うタイプとかのほうが便利だと思うんだけどね。親しみを覚えさせるだけなら、リアルに人間を模倣しなくても、点を3つ配置しておけば勝手に人間の脳が「顔」だと認識するんだから。
用途次第か。
*一神教文化を「攻撃者」として恐れるAI
この手のネタはもっと普遍的に使われてもよさそうなんだけど、自分が読んだ範囲では特にコレというのが見つけられない。
要するに、一神教文化圏は「人が神のまねをして人を作ること」を忌避するから、ヒューマノイドタイプのロボットや人工知能に批判的である。だから非・一神教文化圏で生まれたヒューマノイドタイプのロボットや人工知能は、自分たちの存在を嫌う一神教文化圏を怖がる、という設定。
たぶん、探せば誰かが書いてるんだろうけど、自分が手を伸ばした範囲では思い出せるものがない。
*シミュラクラと擬人化する能力
スネーカーが理解できなかった「人間が擬人化を経由して他者を理解しようとする能力」は、生物としての人間の機能に基づくもの。つまり、文化に関係なく、生体反応で起る。
「パターン・レコグニション 初生児」でググると出てきますが、幼児は目・口の位置に配列された「∵」に反応します。「∵」を「顔」と認識してるわけです。これが「∴」や「…」だと反応しない。ところでパターン・レコグニションといえばギブスンなのですが、寡聞にしてまだ読んだことがありません。今度買ってみよう。
シミュラクラ現象とは、精巧に人に似せて作られた人造のモノたちを多数描いたディックの作品「シミュラクラ」からとられた用語で、簡単に言えば(・A・)が顔に見えるとかそういうこと。
空耳が一度聞いたらもうソレにしか聞こえないのもシミュラクラ現象でだいたい合ってる。
たしかライアーソフトのキャノンボールにも出てきたと思う、というかヒロインじゃなかったかな。シミュラクラでググったらキャノンボールが出てきたからたぶん合ってる。
これが何かというと、人間は機能として点が3つあったらそれが顔に見えてくるように出来てるわけです。擬人化そのものとシミュラクラ現象イコールは出来ませんが、「顔に見えてしまったもの」を擬人化 ”しない” のは、実はけっこう大変。
要するに、AAを一瞬たりとも「キャラ」として認識せず、「記号の配置」としてだけ認識し続けられるかということで、
消しゴムとシャーペンの受け攻めを考えるのは腐女子以外には壮絶な難易度だが、
/|
|/__
ヽ| l l│<ハーイ
┷┷┷
これをヘーベルハウスというキャラに見立てず、記号や線としてのみ理解するのは、ソレよりもはるかに難しいということ。
漫然と書いてたらよくわからなくなったのでおしまいにする。
それだけ世間の期待度が高いということでしょうか。4月10日発売ということは、電撃文庫の4月新刊と一緒に買うといい感じですね。
※4/15追記
すいません10日には売ってませんでした。
買ってきました。http://15393.diarynote.jp/200904150056296893/
イラストが増えたhttp://15393.diarynote.jp/200904170041386084
ニャル子さんもいいですが、オルキヌスも気になります。オルカの話らしい。オルカですよオルカ。ニャルとか海洋生物とかソフトバンククリエイティブは一体どうしたんだ。
「オルキヌス 稲朽深弦の調停生活」でググっても上位にラノベ系ブログが出てこないあたりにニャル子さんの一方的インパクト勝ちを感じる。
4月は断章のグリム10も出ます。もう10巻か!早いなー。
*ライトノベル各レーベルをどれだけ読んでいるか
最近はほぼ電撃とJIVEしか読んでいないかもしれません。あ、富士見のドラゴンブックがあったか。でもSWが2.0になってから富士見で心が躍るリプレイに当たってない。
*2008年に読んだもの
JIVEがぶっちぎりすぎて吹く。
電撃
狼と香辛料、断章のグリム、土橋真二郎
富士見
たのだん、剣神
スニーカー
該当無し
ガガガ
レヴィアタンの恋人
GA
サーベイランスマニュアル
MF
該当無し
HJ
該当無し
SD
該当無し
一迅
該当無し
FB
該当無し。ところでライドウさんの小説続編まだ?
ハヤカワ
神林
JIVE
エンブリ、トリニティ、ゲヘナ、退魔生徒会
*レーベルごとの印象?代表作とか
電撃
最大手。まあ、わっちとか禁書とか時雨沢とか売れてるなあという印象。
スニーカー
ハルヒ。個人的にはオイレンシュピーゲル。紙の質が「薄くて重い」ので本全体がみっしりしてる。作品傾向は「硬い」かも。
富士見
一昨年ぐらいから、表紙の四角いレイアウトやめたよね。ドラゴンブックもリニューアル。富士ミスはスニーカーの紙質に似てる。
ガガガ
され竜がガガガから出たときはびっくりした。スタート時点からサブカル臭が出てたので、このレーベルはどこに行くんだ?と思ってたら、けっこう電撃と同じ客層でガチにやり合ってて驚いた。講談社BOXっぽくもある。「大長編」が好きな層を取り込んでる気がする。
GA
レーベルとしてはポリフォニカ以外に看板がない感じ。作品一つ一つに対してwebページのつくりが丁寧で驚く。ネットでとりあえず作品を調べてから買おうという人には親切。
棚に差すとなんとなく白くて不安になる。平にするともっと主張しなくて大丈夫か不安になる。サーベイランスマニュアルとか、いい本を出してくれるレーベルなので頑張って欲しいなあ。
MF
棚ざしでは緑色の背表紙が目を引く。平面で新刊台に乗ってるときは高確率でHJと混ざる。強みといえる傾向はお色気方面?レーベル代表作はゼロ魔、えむえむっ、かのこん……うん、エロですね。
「みみっく!」という同人誌を出していたり、作家間で仲よさそう。
HJ
棚ざしで特に目を引くわけでなく、平面で新刊台に乗ってるときは高確率でMFと混ざる。ホビージャパンの看板といえばクイーンズブレイドなわけで……ああ、MFと混ざるってそういう。おっぱいですね。QB以外の看板はなやむところですが…くじ勇かな。
SD
なんとなく垢抜けないオーラを出しているのは気のせいだろうか。たぶん原因はロゴのデザイン。代表作は桜坂洋のAll You Need Is Kill。異論は認める。普通は現代魔法を挙げるだろ。
戦う司書やAll Youのような、「局所受け」する作品を持ってるので、けっこうレーベルカラーは濃い。
FB
まかでみわっしょいが良い意味でのバカに相応しいバカアニメだったんだけどあまり話題にならなくて残念です。今の看板は文学少女だろうけど、それまでは狂乱やまかでみが看板だった。っていうかこの2シリーズ、刊行スピードが速すぎる。ゲームノベライズに強いのは流石。実はFEAR系リプレイも出している。レーベルカラーは判じがたいけど、雑誌のファミ通にカラーが似ている気がするのは自分の思い込みだろうか。ところで小説版ライドウの続編まだ?
個人的に追加
ゼータ文庫
今までレーベルから出た作品が高水準でハズレ本無しという奇跡のレーベル。短命だったけど。レーベルカラーが軍曹の趣味にほぼ合致してる時点で短命は避けられ無かったのかもしれない。
帝立愚連隊とヤクザガールの続編はどこかが引き継いで欲しい。
*深海のYrrレビューを読んでいると、キリスト教に基づいた価値観の部分はよく判らないというのはけっこう共通のものらしい
深海のYrrでは、キリスト教に基づいた価値観が重要なファクターだからこそ、アジアの科学者を除外して話が進む。アジア排斥もまた1つのネタになっている。海洋ネタでありながらオーストラリアの科学者が入ってこないのは何でなのかわからないけど。
とにかく、キリスト教徒(イスラムも含む一神教文化と言ってもいいんだろうけど、深海のYrrの場合はアメリカに悪役を担ってもらうためにキリスト教に絞る必要があったんだろう)でなければ、クライマックスが「二者択一」になりえないのだ。
深海のYrrは、圧倒的クライシスに人間が「折れる」ことが面白さなのだ。イールの存在を「敗北」と感じないと、物語の構成としてクライシスが発生しない。
根底にアニミズムを汲む多神教文化だと、イールを受容してしまうので、立てるのは共存ルートフラグである。「衝撃!超古代文明の飛行物体を発見!」ではなく「ラピュタは本当にあったんだ!」になってしまうのだ。コレの何が問題かと言うと、ラピュタの存在を信じなかった派が、信じる派から「上から見られてしまう」こと。二重の屈辱だ。
深海のYrrはこの古典的な「二重の屈辱」をラストに持ってきた。そういう意味では実に王道SF的で、手法そのものは新しいわけじゃない。まず、聖書の記述が間違っていたことで第一波のショックを受け、ついで「え?進化論が発表されてから100年以上たってまだ人間が特別だって信じてたの?奢りすぎじゃないの(笑)」という目で見られる可能性にその先おびえなければならない第二波が来る。
日本人の宗教感覚では、神は祟る。むしろ祟るから神なのであって、祟るような存在はだいたい人より「上」である。よって、散々祟られた上で祟った主と人間の力関係の話しになると、日本人読者は「こんな当たり前のことで何を驚くのか」になってしまう。
やっぱり、日本は何の畏れもなくロボットを人型にする国だよなと思った。
まあ、製造コストや剛性考えたら、ロボットって半円形で地面を這うタイプとかのほうが便利だと思うんだけどね。親しみを覚えさせるだけなら、リアルに人間を模倣しなくても、点を3つ配置しておけば勝手に人間の脳が「顔」だと認識するんだから。
用途次第か。
*一神教文化を「攻撃者」として恐れるAI
この手のネタはもっと普遍的に使われてもよさそうなんだけど、自分が読んだ範囲では特にコレというのが見つけられない。
要するに、一神教文化圏は「人が神のまねをして人を作ること」を忌避するから、ヒューマノイドタイプのロボットや人工知能に批判的である。だから非・一神教文化圏で生まれたヒューマノイドタイプのロボットや人工知能は、自分たちの存在を嫌う一神教文化圏を怖がる、という設定。
たぶん、探せば誰かが書いてるんだろうけど、自分が手を伸ばした範囲では思い出せるものがない。
*シミュラクラと擬人化する能力
スネーカーが理解できなかった「人間が擬人化を経由して他者を理解しようとする能力」は、生物としての人間の機能に基づくもの。つまり、文化に関係なく、生体反応で起る。
「パターン・レコグニション 初生児」でググると出てきますが、幼児は目・口の位置に配列された「∵」に反応します。「∵」を「顔」と認識してるわけです。これが「∴」や「…」だと反応しない。ところでパターン・レコグニションといえばギブスンなのですが、寡聞にしてまだ読んだことがありません。今度買ってみよう。
シミュラクラ現象とは、精巧に人に似せて作られた人造のモノたちを多数描いたディックの作品「シミュラクラ」からとられた用語で、簡単に言えば(・A・)が顔に見えるとかそういうこと。
空耳が一度聞いたらもうソレにしか聞こえないのもシミュラクラ現象でだいたい合ってる。
たしかライアーソフトのキャノンボールにも出てきたと思う、というかヒロインじゃなかったかな。シミュラクラでググったらキャノンボールが出てきたからたぶん合ってる。
これが何かというと、人間は機能として点が3つあったらそれが顔に見えてくるように出来てるわけです。擬人化そのものとシミュラクラ現象イコールは出来ませんが、「顔に見えてしまったもの」を擬人化 ”しない” のは、実はけっこう大変。
要するに、AAを一瞬たりとも「キャラ」として認識せず、「記号の配置」としてだけ認識し続けられるかということで、
消しゴムとシャーペンの受け攻めを考えるのは腐女子以外には壮絶な難易度だが、
/|
|/__
ヽ| l l│<ハーイ
┷┷┷
これをヘーベルハウスというキャラに見立てず、記号や線としてのみ理解するのは、ソレよりもはるかに難しいということ。
漫然と書いてたらよくわからなくなったのでおしまいにする。
深海のYrr 〈上〉 (ハヤカワ文庫 NV シ 25-1)
2009年3月23日 読書
*ネタバレ有り
読み終わった。
やっぱりSFは面白い!
*擬人化を扱うかが話を面白くするポイント、とか偉そうなこと書いたら本当にそうなってて吹いた
未知の相手を理解するとき、無意識のうちに相手を擬人化して理解したつもりになってたら、実際はまったく想定の範囲外の相手だった、というブラックオチはSFの定番ですが、「深海のYrr」はそのブラックオチを、「陥りやすい間違い」として取り上げてたのが面白かった。
未知の相手に対して、「こいつは勝てない!こっちが引こう」という方向で進んでいくのもなかなか珍しい気がしました。
いやまあ、勝てない相手から逃げるって話(抵抗するとか打ち倒すとかじゃないもの)そのものはけっこうあるんですが(ジュラシックパークとか)。それだって、目の前の敵から逃げられるかどうかの限定的な逃走劇がほとんどじゃないですか。
「こんなの勝てないのに何やってんの!何やってんの!」がメインになるっていうのは珍しい気がする。
海の底から古き支配者がやってくると言う点では、ラヴやん的なホラー感もあるよね。
「深海のYrr」はラヴやん系列じゃないんですが、ラヴやんが魚介類に感じた生理的嫌悪の根底に、深海への形容しがたい恐れがあるんだとしたら、両者はあながち遠くもないのかも。
読者は「逃げろよ!早く逃げろよ!」と叫んでるのに、色々な理由でクライシスに近づいてしまう人物がたくさん出てくるという意味では、ラヴやん的な楽しみが出来ます。
*キリスト教を勉強しないとなあと思いました。まる。
これは所謂「キリスト教文化圏じゃないとわかりにくい話」だなあ。
ダヴインチコードもそういわれましたが、アレはダン・ブラウンが懇切丁寧に説明してくれてるので、キリスト教知識が無くても十分楽しいです。
「深海のYrr」も、キリスト教知識が無くても十分に楽しめます。
ただ、作者が想定したような「衝撃」は、キリスト教文化圏の人にしか効果が無いんだろうなあ……ぐらいに感じる。
*神の死ぬ段階
そもそも日本人は、ニーチェの「神は死んだ」が理解しにくい土壌にいます。
ニーチェの「神は死んだ」とは、社会規範・道徳のよりどころとしてのキリスト教が、近代になるとその役目を成さなくなったことを指しています。
もともとキリスト教が道徳に根付いていない日本人にとっては、死ぬ以前に生まれてなかったぐらいの感覚なので、体感としてわかりにくいんですね。
「深海のYrr」の「キリスト教文化圏じゃないとわかりにくい話」感も、だいたい同じです。
そうなると逆に、「ニーチェが100年前に神は死んだといったのに、イールショックでさらに打撃を受けるって、神さまって”まだ生きてた”の?」という疑問が出てきます。
「深海のYrr」で重要なのは、むしろこっちでしょうか。科学と折り合いを付けた後の一神教とは何か、その知識があるかどうかです。
ニーチェの「神は死んだ」と、イールショックは、神の死ぬ段階が違うのでしょう。
このへんは、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」にも出てきます。ダン・ブラウンは分かりやすいので、先に読んでおくと感覚が掴めるかも。
*人間の合理性
「深海のYrr」を読んでいてこれは楽しいと思ったのは、「時間商人」でも出てきた癌の話でしょう。
癌細胞は宿主を殺します。そうなれば癌細胞も死にます。もし癌細胞がもっと合理的であったのならば、宿主との共存を図るのではないか、という疑問です。
これに対して「深海のYrr」では、癌になるとわかっていても人間が煙草をやめないことを挙げ、人間がまったく合理的ではないことを示します。
そして、この人間が合理的ではないのに対して、イールはなんとも「合理的」なのです。
時間商人で癌の比喩にしてやられ、「深海のYrr」で”命乞いをする癌”となった人類を読む。いやはや、やはりSFは面白い。
読み終わった。
やっぱりSFは面白い!
*擬人化を扱うかが話を面白くするポイント、とか偉そうなこと書いたら本当にそうなってて吹いた
未知の相手を理解するとき、無意識のうちに相手を擬人化して理解したつもりになってたら、実際はまったく想定の範囲外の相手だった、というブラックオチはSFの定番ですが、「深海のYrr」はそのブラックオチを、「陥りやすい間違い」として取り上げてたのが面白かった。
未知の相手に対して、「こいつは勝てない!こっちが引こう」という方向で進んでいくのもなかなか珍しい気がしました。
いやまあ、勝てない相手から逃げるって話(抵抗するとか打ち倒すとかじゃないもの)そのものはけっこうあるんですが(ジュラシックパークとか)。それだって、目の前の敵から逃げられるかどうかの限定的な逃走劇がほとんどじゃないですか。
「こんなの勝てないのに何やってんの!何やってんの!」がメインになるっていうのは珍しい気がする。
海の底から古き支配者がやってくると言う点では、ラヴやん的なホラー感もあるよね。
「深海のYrr」はラヴやん系列じゃないんですが、ラヴやんが魚介類に感じた生理的嫌悪の根底に、深海への形容しがたい恐れがあるんだとしたら、両者はあながち遠くもないのかも。
読者は「逃げろよ!早く逃げろよ!」と叫んでるのに、色々な理由でクライシスに近づいてしまう人物がたくさん出てくるという意味では、ラヴやん的な楽しみが出来ます。
*キリスト教を勉強しないとなあと思いました。まる。
これは所謂「キリスト教文化圏じゃないとわかりにくい話」だなあ。
ダヴインチコードもそういわれましたが、アレはダン・ブラウンが懇切丁寧に説明してくれてるので、キリスト教知識が無くても十分楽しいです。
「深海のYrr」も、キリスト教知識が無くても十分に楽しめます。
ただ、作者が想定したような「衝撃」は、キリスト教文化圏の人にしか効果が無いんだろうなあ……ぐらいに感じる。
*神の死ぬ段階
そもそも日本人は、ニーチェの「神は死んだ」が理解しにくい土壌にいます。
ニーチェの「神は死んだ」とは、社会規範・道徳のよりどころとしてのキリスト教が、近代になるとその役目を成さなくなったことを指しています。
もともとキリスト教が道徳に根付いていない日本人にとっては、死ぬ以前に生まれてなかったぐらいの感覚なので、体感としてわかりにくいんですね。
「深海のYrr」の「キリスト教文化圏じゃないとわかりにくい話」感も、だいたい同じです。
そうなると逆に、「ニーチェが100年前に神は死んだといったのに、イールショックでさらに打撃を受けるって、神さまって”まだ生きてた”の?」という疑問が出てきます。
「深海のYrr」で重要なのは、むしろこっちでしょうか。科学と折り合いを付けた後の一神教とは何か、その知識があるかどうかです。
ニーチェの「神は死んだ」と、イールショックは、神の死ぬ段階が違うのでしょう。
このへんは、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」にも出てきます。ダン・ブラウンは分かりやすいので、先に読んでおくと感覚が掴めるかも。
*人間の合理性
「深海のYrr」を読んでいてこれは楽しいと思ったのは、「時間商人」でも出てきた癌の話でしょう。
癌細胞は宿主を殺します。そうなれば癌細胞も死にます。もし癌細胞がもっと合理的であったのならば、宿主との共存を図るのではないか、という疑問です。
これに対して「深海のYrr」では、癌になるとわかっていても人間が煙草をやめないことを挙げ、人間がまったく合理的ではないことを示します。
そして、この人間が合理的ではないのに対して、イールはなんとも「合理的」なのです。
時間商人で癌の比喩にしてやられ、「深海のYrr」で”命乞いをする癌”となった人類を読む。いやはや、やはりSFは面白い。
とても面白かった。
これチャーリーが主人公だよね。
*霊的都市京都
今回は京都が舞台ということで、屋久島以上にネタが多く、結果的に2冊キャンペと化しているようです。
ちなみに、京都百鬼行が退魔生徒会の6巻目なので、1冊800円として、ここまでそろえるだけで4800円になる計算です。
リプレイの文庫そろえるだけで5000円に届くとな。
退魔生徒会を積極的にお薦めできない理由の一つですねえ。高いなあ……。
その上、修学旅行で2冊か3冊になりそう(2冊は確定)らしいということで。修学旅行の次のクリスマスと、その次の冬休みまでプレイが完了しているようなので(ネタ元はGMのblog)、打ち切りにならなければ全10巻ぐらいになりそうです。
最終的に1万円ぐらいになるのかこのリプレイシリーズ。
*コミュは7つまで
七股までは公認吹いた。P3さんのことかー!!あんまりやりすぎると不遇主人公の法則発動するぞ(続編で死亡設定的な意味で)。
超振動先生(高尾祐子)が出てきたあたりから、チャーリーがかなり主人公なんですが、今回もある意味主人公でした。
主人公を「活躍した人物」という視点で取るなら、苺が一番メインだったと思いますが、「シナリオの流れを選択する人物」という意味で主人公を決めるならチャーリーでしょう。
なにしろ今回のチャーリーは、真Ⅲルート(東京受胎)・真Ⅱルート(メシア教支配)・罪罰ルート(ニャル山とナチス)に歴史が分岐するかもしれない重要な鍵を握ってます。これは主人公過ぎる。
しかも、今のまま現状維持でも真Ⅰルートに進む可能性があり、チャーリーとしてはなんとかデビサマルート(というか、それなりに平和な歴史)に進むようにしたいというのが今回の内容です。
この「どの勢力と仲良くするかによって、その後の歴史が分岐する」というのが、とっても面白い。今回乗りプレイが面白かった一番の理由は、こうした「if」を想像させる展開になったことですね。
PCたちのコネクション陣営が、それぞれの思惑で持って動いているのがいい。
・ついにNPC紹介ページで「M字」と明記されるようになった氷川
・葛葉関係者KK(どう見ても悪キョウジさん)
・最近は表立った動きが無いけれどアニーを送り込んできたメシア教団
・ガチ(ナチ)
おそらく最低でもこの4勢力がムーの巫女の力に注目していて、どの勢力がそれを手に入れるかによって歴史が決まってしまうわけです。これは面白い。
そして前回のマダムに続いて、また一つコミュをコンプリートしたチャーリー。デビサマ・ペルソナ系主人公はモテモテの法則か。嫉妬悪魔が腕をクロスしているのが見えるようだ。
*弱点は万能。それは弱点とは言わない
5巻の「万聖節前夜」で一番活躍したにもかかわらず焦点が当たらなかった鱗ですが、今回はいよいよ「暗躍」が始まりました。いままで暗躍してなかったかと言われると、暗躍しかしてなかった気もしますが。
ついに以前からほのめかされていた「鱗ラスボス説」が、正式に発表されました。今までPTの戦術担当として重要なポジションにいた仲間がラスボスと言うのは、実現したらすごい面白くなる気がします。
思えば、1巻から鱗はいずれ重大な敵になることが示唆されていたわけで。本当にダークポイント溜まりすぎてNPC→ラスボス化したら神展開かもしれない。
ラスボス鱗の弱点は万能属性らしいですよ。
あと将来の話になってアニーがデレたのが素晴らしかったです。
*虹テン的な楽しみが好きな人向け
やっばり退魔生徒会は虹テン好き向けだよなあ。逆に言えば虹テンのノリに乗れないタイプは、読んでて面白くなさそう。
ノリといえば、5巻でマダム銀子の正体がギンザのママつながりでニュクスという設定も、自由度の高い何でもありクロスオーバーな退魔生徒会が独自につくった設定なのかと思ったら、GMが混同していただけだったらしい……
いや、わかっててやってると思ってたのに、それはどうなんだ。
マダムと呼ばれる人は銀子ニュクスとあと真Ⅱのマダムがいますね。さすがに真Ⅱのマダムは絡められないだろうなあ。
これチャーリーが主人公だよね。
*霊的都市京都
今回は京都が舞台ということで、屋久島以上にネタが多く、結果的に2冊キャンペと化しているようです。
ちなみに、京都百鬼行が退魔生徒会の6巻目なので、1冊800円として、ここまでそろえるだけで4800円になる計算です。
リプレイの文庫そろえるだけで5000円に届くとな。
退魔生徒会を積極的にお薦めできない理由の一つですねえ。高いなあ……。
その上、修学旅行で2冊か3冊になりそう(2冊は確定)らしいということで。修学旅行の次のクリスマスと、その次の冬休みまでプレイが完了しているようなので(ネタ元はGMのblog)、打ち切りにならなければ全10巻ぐらいになりそうです。
最終的に1万円ぐらいになるのかこのリプレイシリーズ。
*コミュは7つまで
七股までは公認吹いた。P3さんのことかー!!あんまりやりすぎると不遇主人公の法則発動するぞ(続編で死亡設定的な意味で)。
超振動先生(高尾祐子)が出てきたあたりから、チャーリーがかなり主人公なんですが、今回もある意味主人公でした。
主人公を「活躍した人物」という視点で取るなら、苺が一番メインだったと思いますが、「シナリオの流れを選択する人物」という意味で主人公を決めるならチャーリーでしょう。
なにしろ今回のチャーリーは、真Ⅲルート(東京受胎)・真Ⅱルート(メシア教支配)・罪罰ルート(ニャル山とナチス)に歴史が分岐するかもしれない重要な鍵を握ってます。これは主人公過ぎる。
しかも、今のまま現状維持でも真Ⅰルートに進む可能性があり、チャーリーとしてはなんとかデビサマルート(というか、それなりに平和な歴史)に進むようにしたいというのが今回の内容です。
この「どの勢力と仲良くするかによって、その後の歴史が分岐する」というのが、とっても面白い。今回乗りプレイが面白かった一番の理由は、こうした「if」を想像させる展開になったことですね。
PCたちのコネクション陣営が、それぞれの思惑で持って動いているのがいい。
・ついにNPC紹介ページで「M字」と明記されるようになった氷川
・葛葉関係者KK(どう見ても悪キョウジさん)
・最近は表立った動きが無いけれどアニーを送り込んできたメシア教団
・ガチ(ナチ)
おそらく最低でもこの4勢力がムーの巫女の力に注目していて、どの勢力がそれを手に入れるかによって歴史が決まってしまうわけです。これは面白い。
そして前回のマダムに続いて、また一つコミュをコンプリートしたチャーリー。デビサマ・ペルソナ系主人公はモテモテの法則か。嫉妬悪魔が腕をクロスしているのが見えるようだ。
*弱点は万能。それは弱点とは言わない
5巻の「万聖節前夜」で一番活躍したにもかかわらず焦点が当たらなかった鱗ですが、今回はいよいよ「暗躍」が始まりました。いままで暗躍してなかったかと言われると、暗躍しかしてなかった気もしますが。
ついに以前からほのめかされていた「鱗ラスボス説」が、正式に発表されました。今までPTの戦術担当として重要なポジションにいた仲間がラスボスと言うのは、実現したらすごい面白くなる気がします。
思えば、1巻から鱗はいずれ重大な敵になることが示唆されていたわけで。本当にダークポイント溜まりすぎてNPC→ラスボス化したら神展開かもしれない。
ラスボス鱗の弱点は万能属性らしいですよ。
あと将来の話になってアニーがデレたのが素晴らしかったです。
*虹テン的な楽しみが好きな人向け
やっばり退魔生徒会は虹テン好き向けだよなあ。逆に言えば虹テンのノリに乗れないタイプは、読んでて面白くなさそう。
ノリといえば、5巻でマダム銀子の正体がギンザのママつながりでニュクスという設定も、自由度の高い何でもありクロスオーバーな退魔生徒会が独自につくった設定なのかと思ったら、GMが混同していただけだったらしい……
いや、わかっててやってると思ってたのに、それはどうなんだ。
マダムと呼ばれる人は銀子ニュクスとあと真Ⅱのマダムがいますね。さすがに真Ⅱのマダムは絡められないだろうなあ。
天使と悪魔 (上) (角川文庫)
2009年3月13日 読書
*天使と悪魔読了
ダヴィンチコードより好み。でも「絶え間なくカタルシスを味あわせる構成」ではダヴィンチコードのほうが巧みだと思いました。総合点ではどちらも「ものすごく楽しい!」に尽きる。
そういえばゴールデンウィークあわせで映画公開ですか。うーん、2時間の映像にこれがまとまるのが想像できない。(と、さりげなく「天使と悪魔 映画」で検索されても引っかかるようにしておく)
天使と悪魔というタイトルが、作品全体の重要な位置を占める「対象性」を指しているのはわかるのですが、なんだか唐突な感じがしました。特に、具体的姿として像を結ばない「悪魔」のほう(天使はずばり出てくる)。非キリスト教圏だからかな?太極図の陰陽のほうがずっと対象性の例えとして身近に感じるので、たぶんそうなんでしょう。デビサマは関係ないと思う。たぶん。
なんとなくですが、キリスト教圏の人が読むと、暗殺者が悪魔の姿で脳内に映るのかな、と思いました。非キリスト教圏の自分には、中東解放戦線の戦士に見栄えがするよう筋肉を足したような(ふつうに思い浮かぶ中東解放戦線の戦士は細身の気がする)手足の長い男のイメージだったんですが。具体的には00ガンダムのひろし。人離れした身体能力を持っているけど、やっぱり人間。悪魔という感じはしない。どうでもいいけど「00ガンダム ひろし」で検索すると、当たり前のようにひろしで認識されているCV藤原啓治に哀愁を感じる。
なんだか終盤が異様に既視感あるなあと思ったら、新しい技術を発見してもその技術の倫理的な取扱説明書は一緒に発見されない~の下りで、天使と悪魔がニューウェーブ以降の王道を通るSFだったことに気が付きました。どうりで面白いわけだ。天使と悪魔はSFだったわけです。
一度気が付いてしまうと、終盤までそこに気が付かなかったのが不思議なぐらいSF。究極の真理を知りたいという科学者として純粋な欲求が事件の引き金になってるなんて、SFを10本選んだら5本はそんな話だよ。そうだよ!BRAIN VALLEYも神を観測する話だったじゃないか!これは最初からSFだよ!
面白いものはそうそう王道を外れていません。王道を通りながら「もう飽きた」と言わせないのが上手い作家。反物質ネタを頭に持ってきながら、SFであることを忘れさせる技量とか。
簡単にググってみても、色々な書評で「反物質のようなSFの小道具を使いながら、SFのような空想の話にせずに」やら「SFの技術と17世紀の美術を使い」とか、作品自体がSFであることに触れている文章が少ないんですよ!あと、SF作品として天使と悪魔を挙げているのもみつからない。
すごい。ひゃー、と声に出てしまうぐらい上手いですね、ダン・ブラウン。「SFをSFというだけで読まない人」が嫌う部分を覆い隠しつつ、これぞSFというテーマを綺麗に使ってます。
これはもしかしたら、SFをSFというだけで読まない人にうってつけな作品を見つけてしまったのかも。みんなのも自分の周りにいるBRAIN VALLEYを読みたがらない人に天使と悪魔を読ませてみよう。
結局またSF作品の感想を書いてしまいました。SF以外の感想文も書けるようになりたいなあ。
ダヴィンチコードより好み。でも「絶え間なくカタルシスを味あわせる構成」ではダヴィンチコードのほうが巧みだと思いました。総合点ではどちらも「ものすごく楽しい!」に尽きる。
そういえばゴールデンウィークあわせで映画公開ですか。うーん、2時間の映像にこれがまとまるのが想像できない。(と、さりげなく「天使と悪魔 映画」で検索されても引っかかるようにしておく)
天使と悪魔というタイトルが、作品全体の重要な位置を占める「対象性」を指しているのはわかるのですが、なんだか唐突な感じがしました。特に、具体的姿として像を結ばない「悪魔」のほう(天使はずばり出てくる)。非キリスト教圏だからかな?太極図の陰陽のほうがずっと対象性の例えとして身近に感じるので、たぶんそうなんでしょう。デビサマは関係ないと思う。たぶん。
なんとなくですが、キリスト教圏の人が読むと、暗殺者が悪魔の姿で脳内に映るのかな、と思いました。非キリスト教圏の自分には、中東解放戦線の戦士に見栄えがするよう筋肉を足したような(ふつうに思い浮かぶ中東解放戦線の戦士は細身の気がする)手足の長い男のイメージだったんですが。具体的には00ガンダムのひろし。人離れした身体能力を持っているけど、やっぱり人間。悪魔という感じはしない。どうでもいいけど「00ガンダム ひろし」で検索すると、当たり前のようにひろしで認識されているCV藤原啓治に哀愁を感じる。
なんだか終盤が異様に既視感あるなあと思ったら、新しい技術を発見してもその技術の倫理的な取扱説明書は一緒に発見されない~の下りで、天使と悪魔がニューウェーブ以降の王道を通るSFだったことに気が付きました。どうりで面白いわけだ。天使と悪魔はSFだったわけです。
一度気が付いてしまうと、終盤までそこに気が付かなかったのが不思議なぐらいSF。究極の真理を知りたいという科学者として純粋な欲求が事件の引き金になってるなんて、SFを10本選んだら5本はそんな話だよ。そうだよ!BRAIN VALLEYも神を観測する話だったじゃないか!これは最初からSFだよ!
面白いものはそうそう王道を外れていません。王道を通りながら「もう飽きた」と言わせないのが上手い作家。反物質ネタを頭に持ってきながら、SFであることを忘れさせる技量とか。
簡単にググってみても、色々な書評で「反物質のようなSFの小道具を使いながら、SFのような空想の話にせずに」やら「SFの技術と17世紀の美術を使い」とか、作品自体がSFであることに触れている文章が少ないんですよ!あと、SF作品として天使と悪魔を挙げているのもみつからない。
すごい。ひゃー、と声に出てしまうぐらい上手いですね、ダン・ブラウン。「SFをSFというだけで読まない人」が嫌う部分を覆い隠しつつ、これぞSFというテーマを綺麗に使ってます。
これはもしかしたら、SFをSFというだけで読まない人にうってつけな作品を見つけてしまったのかも。みんなのも自分の周りにいるBRAIN VALLEYを読みたがらない人に天使と悪魔を読ませてみよう。
結局またSF作品の感想を書いてしまいました。SF以外の感想文も書けるようになりたいなあ。
ダヴィンチコード読み終わって天使と悪魔買ってきた
2009年3月12日 読書昨日の日記を書いてから駅内の本屋で天使と悪魔を買ってきました。
「これであとは量子力学か精神物理学か大脳生理学か進化人類学もしくはその全部絡めてくれたら完璧だったのに」と書いた直後に素粒子物理学ネタが出てきて吹いた。
まあ、この偶然はそこまで驚くことでもないと思います。
天使と悪魔序盤にも出てきますが、あ、ちなみに上巻まで読みました、「世界を知りたい」という知的欲求が、宗教や科学の”根”です。
何故自分は存在するのかについて、神を用意したのが宗教で、ちょっとそことは違う方向から見ているのが物理学なわけです。
そして、素粒子のような「物質として考えうる最小の存在」について研究することは、「なぜ世界はあるのか」の様々な考え方(宗教や科学)たちが、かぎりなく接近する行為になります。
そりゃまあ、違うルートを通った走者同士でも、ゴールが同じなら近づきますよね。
観測者問題もそうですが、意識が物質の最小単位に影響している、なんて仮説が出てしまうわけです。
世の中には物理学者から哲学者に転じてしまう人がいます。なぜかというと、なんで世界は存在するのかの「答え」に近づくほど、宗教や哲学との境が低くなっていくので、ころっとシフトしてしまうわけです。
ですから、宗教と素粒子物理学が接近するのは、自然な結果だと思うんですよ。
AIだって、人の心の仕組みを解明するために作ろうとしてるわけじゃないですか。これも宗教や心理学と同根なわけです。だから、場合によって互いの境界が混ざり合うのは、そんなに不思議じゃないし、ダン・ブラウンの小説に量子力学が出てくることは、当然読者から期待されていいはずなんです。
ただ、ブッダは吹いた。キリスト教圏の登場人物には、ブッダが人間だという認識は薄いのかな。それともインドでヒンドゥー教と再融合したとき、神の1柱にいれられてしまったブッダのことだろうか。ここを、「ダヴィンチコードでも出てきたキリストが神の子とされていく過程と同じ変化が、ブッダと創造神についてもキャラクターの中で自動的に起っていた」とするとけっこう楽しい。まあ、登場するキャラクターの演出として言わせているんで、ダン・ブラウンの認識とは別ですけど。
「これであとは量子力学か精神物理学か大脳生理学か進化人類学もしくはその全部絡めてくれたら完璧だったのに」と書いた直後に素粒子物理学ネタが出てきて吹いた。
まあ、この偶然はそこまで驚くことでもないと思います。
天使と悪魔序盤にも出てきますが、あ、ちなみに上巻まで読みました、「世界を知りたい」という知的欲求が、宗教や科学の”根”です。
何故自分は存在するのかについて、神を用意したのが宗教で、ちょっとそことは違う方向から見ているのが物理学なわけです。
そして、素粒子のような「物質として考えうる最小の存在」について研究することは、「なぜ世界はあるのか」の様々な考え方(宗教や科学)たちが、かぎりなく接近する行為になります。
そりゃまあ、違うルートを通った走者同士でも、ゴールが同じなら近づきますよね。
観測者問題もそうですが、意識が物質の最小単位に影響している、なんて仮説が出てしまうわけです。
世の中には物理学者から哲学者に転じてしまう人がいます。なぜかというと、なんで世界は存在するのかの「答え」に近づくほど、宗教や哲学との境が低くなっていくので、ころっとシフトしてしまうわけです。
ですから、宗教と素粒子物理学が接近するのは、自然な結果だと思うんですよ。
AIだって、人の心の仕組みを解明するために作ろうとしてるわけじゃないですか。これも宗教や心理学と同根なわけです。だから、場合によって互いの境界が混ざり合うのは、そんなに不思議じゃないし、ダン・ブラウンの小説に量子力学が出てくることは、当然読者から期待されていいはずなんです。
ただ、ブッダは吹いた。キリスト教圏の登場人物には、ブッダが人間だという認識は薄いのかな。それともインドでヒンドゥー教と再融合したとき、神の1柱にいれられてしまったブッダのことだろうか。ここを、「ダヴィンチコードでも出てきたキリストが神の子とされていく過程と同じ変化が、ブッダと創造神についてもキャラクターの中で自動的に起っていた」とするとけっこう楽しい。まあ、登場するキャラクターの演出として言わせているんで、ダン・ブラウンの認識とは別ですけど。
時間商人 不老不死、二度売ります (ガガガ文庫)
2009年2月25日 読書
*スーパーレビュー練習なんちゃらリンク
時間商人 不老不死、二度売りますの感想です。
オチがよく、オチを読んでからもう一度読み返すと見えなかった部分が分かり、改めて本全体が面白かったと言える作品でした。
前半の不安定さや、設定に突っ込みどころを探させる部分が、オチでストンとはまる、カタルシスのある作品だと思います。
トキタのセリフが良いんですよ。生きる意味に対する返答とか。
ところでここは作者のblogでしょうか
http://kanata-no-sunadokei.blog.so-net.ne.jp/
あらすじ(公式サイトより)
「オサヤマの味方です」トキタは不敵に笑う
不老不死を必要とする者の前に、時間商人の助手は白猫を連れて現れる。世界的な経営者の長山豪介、献身的な新薬開発者の佐原修、姿をみせない公園の何者か。それぞれの理由から死を遅らせたいと願う彼らに提示される、時間商人トキタの契約。寿命か金銭を支払えば、トキタは特別な10年間を提供する。それは老いず、怪我や病気が進行せず、絶対に死なない「期間限定の不老不死」。トキタの店に足を踏み入れた人々は、数奇な運命に導かれていく――。
短編連作形式なので登場人物は多めです。ここではメインだけ紹介します。
トキタ
時間商人。常にスーツで全身白尽くめ。柔和で軽い話し方と表情を見せないサングラスが相まって、トリックスター的な印象を漂わせる。
カナタ
時間商人の助手。不老不死サイドから読者視点の代理人となってくれる存在。連作短編形式で各章ごとに主人公がいる本作で、全体の大テーマでの主人公。
*動機の見えない不気味さ
時間商人の商売は、不老不死を売ることです。
不老不死と言っても制限つきで、販売単位は10年間。つまり、10年だけ歳を取らず、死にもしない体になると言うことです。
いかなる要素によっても生体ホメオスタシスが変動せず、ネルギー代謝が完全に「自己完結」する。そういう体になるようです。
不老不死系の話で自分が一番「どう処理するのか」注目するのは、死なない肉体になることで意識がどのように変容するかということです。
何度目だと言われそうですがBRAIN VALLEY(何度目だ)では、記憶(ひいては意識、心)はレセプター間の化学物質のやりとりだということが、前半のスーパー蘊蓄タイムの半分ぐらいを裂いて語られます。
意識とは、脳内の物質の移動で出来ているわけです。この移動には当然エネルギーを消費します。エネルギーの過不足が物質の移動に影響を与えるとも言えます。エネルギーの供給量は、健康や環境で変化します。
空腹、病気、怪我、「死」に直面する状況。そういったもので、脳内の物質の動きは変えられてしまい、結果的に意識にも影響する。そこからスーパー神タイムまで走っていく小説がBRAIN VALLEYなのだ、ということを22日の日記に書いたと思います。
ということは、逆に言えば、「死なない」「変わらない」「飢えない」ということも、脳内の物質の動きに影響を与え、意識に変化をもたらすはずです。
脳(意識)の発達は、生存努力の器官・戦略として進んだものであり、死なない=生存努力をする必要がない状態になれば、機能が衰えていくかもしれません。
「不老不死になっても意識が変容しないのはおかしいと」思う根拠はここにあります。
その点、時間商人では、「不老不死のタイムリミット」によって、うまく意識問題をすり抜けている気がします。
永遠に不老不死なのではなく、「10年間だけ」死ににくい体になる、つまり根源には「いつかは死ぬ」=「生存努力が必要」というのが残っているわけです。
また、もう一つ予防線と言うか、エネルギーを自己生産できるけれど、感覚として空腹は存在するし、空腹を放置するとストレスになる、という設定があります。死なないことにより生存努力をしなくなり、結果的に意識の活性が落ちることへの予防線設定となります。
本来「空腹感」とは生存努力のための警鐘ではないか、という疑問があると思いますが、これらは脳内でも原始的な分野、小脳などが司る部分になります。これらは肉体の変容から受ける影響に比較的強いので、10年間死ななくなった程度ではなくならない、と考えてもそんなに不自然ではありません。
かなり長期間不老不死を続けているトキタにも空腹があります。最初は「他の不老不死者に合わせるためか?」と思った設定なのですが、オチを見てなるほどと感じた部分の一つです。
トキタの意識は活性が衰えている様子はありません。不老不死を続けていてもトキタは生存努力(に起因するのであろう意識の高活性)を維持している様子です。
ここで疑問が出てきます。
「10年限定ではなく、ガチ不老不死の時間商人はどんな意識を持っているの?」
先に結論を言えば、トキタは「不老不死になったことで不老不死の精神になっている」ので、「人間とは精神構造が違う」のです。
読み始めの頃は「不老不死になっても精神は人間のまま変わらないアレかな」と思ったのですが、ラストになると「いや、これはしっかり人ならざる視点、人外に変容しているじゃないか」と思いました。
人ならざる意識、その精神は未知のものであり、不気味です。トキタ単体は不気味なキャラクターではありません。時間商人の動機が見えないことが、不気味さを作っています。
なにしろ、不老不死を売るというのですから、とんでもない商売です。
神の慈善事業か、悪魔の戯れか、それほどのことをやっているのに動機がさっぱりわからないのです。
トキタ自身がわからないといっているのですから、読者にはまったく分かりません。
そしてこれが、「時間商人 不老不死、二度売ります」の大テーマなのです。
何故時間商人は存在するのか
何故不老不死であるトキタとカナタは「生きている」のか
何故○○はこの世に存在するのか
この「何故?」に対して、ラストで物語全体を総括するオチがあるのですが、そのオチに持っていくために、前半から「何故だろう、わからない、不気味だ」と感じさせる構成、これがとても楽しいのです。
結論から言えば「こういう目的があってやっている」という明確な何かはないのです。無いんですが、オチている。
すべてのものは、必要とされるからこの世にある。
だから、時間商人も存在している。
この世に誰からも必要とされていないものは存在しない。
だから、時間商人は存在してもいい。
不老なるもの。寿命のないもの。○○についての知識は持っていたはずですが、オチにそれが収まるまで完全に忘れていました。オチにそれがきて「ああ!」と納得する快感は一番の見所じゃないかなと思います。
*利他行為と生存努力
第二章のクリスマスの話です。
利他行為と生存努力。ちょっとした「ドーキンス的な要素」なのですが、こうしたエピソードが「不老不死を扱った話」に織り込まれていることが、実に自分好みの展開だったのでニンマリしてしまいました。(この部分でピンポイントに面白さを感じてワクワクするひとはこのblog読者でも少ない気がしますが……)
利己的な愛も美しいというトキタのセリフは良い読後感です。
全体的に、平和だけれど斜陽な管理社会を舞台にした叙情的ディストピア小説のような味わいがあると思います。美しく枯れている感じというか。
*トキタの正体はニャル
そのままです。どうしてもトキタがニャルに見えてしまうのです。
出だしから時間商人の動機が分からず、「この人は何が真の目的で不老不死を売っているんだろう」「人類の様子を見て楽しんでいる超越した何かなのか」「ただ乱数を与えること自体が目的なトリックスターなのか」「むしろニャルなんじゃないか」と考えているうちに読み終わってしまいました。
第一章から「ニャルっぽい」印象を持ってしまったせいか、今でもトキタがニャルに見えて仕方ありません。
トリックスター的な要素もありますが、それ以上に「人類以外のなにか」発言が原因だと思います。真っ先に連想したのがアザトースでした。
だからって何でトキタニャル説に飛躍するんだとは思いますが、空耳と同じで「一度そう見えてしまうとそうとしか思えない現象」が……いやでもトキタ白いよね!なんでニャルに見えたんだろう。不思議!
追記:トキタといえば朱鷺田祐介氏(退魔生徒会のGM)、朱鷺田祐介氏といえば戦国クトゥルフなので、トキタ→朱鷺田祐介→ニャルという連想ゲームが無意識のうちにあったのかも。
時間商人 不老不死、二度売りますの感想です。
オチがよく、オチを読んでからもう一度読み返すと見えなかった部分が分かり、改めて本全体が面白かったと言える作品でした。
前半の不安定さや、設定に突っ込みどころを探させる部分が、オチでストンとはまる、カタルシスのある作品だと思います。
トキタのセリフが良いんですよ。生きる意味に対する返答とか。
ところでここは作者のblogでしょうか
http://kanata-no-sunadokei.blog.so-net.ne.jp/
あらすじ(公式サイトより)
「オサヤマの味方です」トキタは不敵に笑う
不老不死を必要とする者の前に、時間商人の助手は白猫を連れて現れる。世界的な経営者の長山豪介、献身的な新薬開発者の佐原修、姿をみせない公園の何者か。それぞれの理由から死を遅らせたいと願う彼らに提示される、時間商人トキタの契約。寿命か金銭を支払えば、トキタは特別な10年間を提供する。それは老いず、怪我や病気が進行せず、絶対に死なない「期間限定の不老不死」。トキタの店に足を踏み入れた人々は、数奇な運命に導かれていく――。
短編連作形式なので登場人物は多めです。ここではメインだけ紹介します。
トキタ
時間商人。常にスーツで全身白尽くめ。柔和で軽い話し方と表情を見せないサングラスが相まって、トリックスター的な印象を漂わせる。
カナタ
時間商人の助手。不老不死サイドから読者視点の代理人となってくれる存在。連作短編形式で各章ごとに主人公がいる本作で、全体の大テーマでの主人公。
*動機の見えない不気味さ
時間商人の商売は、不老不死を売ることです。
不老不死と言っても制限つきで、販売単位は10年間。つまり、10年だけ歳を取らず、死にもしない体になると言うことです。
いかなる要素によっても生体ホメオスタシスが変動せず、ネルギー代謝が完全に「自己完結」する。そういう体になるようです。
不老不死系の話で自分が一番「どう処理するのか」注目するのは、死なない肉体になることで意識がどのように変容するかということです。
何度目だと言われそうですがBRAIN VALLEY(何度目だ)では、記憶(ひいては意識、心)はレセプター間の化学物質のやりとりだということが、前半のスーパー蘊蓄タイムの半分ぐらいを裂いて語られます。
意識とは、脳内の物質の移動で出来ているわけです。この移動には当然エネルギーを消費します。エネルギーの過不足が物質の移動に影響を与えるとも言えます。エネルギーの供給量は、健康や環境で変化します。
空腹、病気、怪我、「死」に直面する状況。そういったもので、脳内の物質の動きは変えられてしまい、結果的に意識にも影響する。そこからスーパー神タイムまで走っていく小説がBRAIN VALLEYなのだ、ということを22日の日記に書いたと思います。
ということは、逆に言えば、「死なない」「変わらない」「飢えない」ということも、脳内の物質の動きに影響を与え、意識に変化をもたらすはずです。
脳(意識)の発達は、生存努力の器官・戦略として進んだものであり、死なない=生存努力をする必要がない状態になれば、機能が衰えていくかもしれません。
「不老不死になっても意識が変容しないのはおかしいと」思う根拠はここにあります。
その点、時間商人では、「不老不死のタイムリミット」によって、うまく意識問題をすり抜けている気がします。
永遠に不老不死なのではなく、「10年間だけ」死ににくい体になる、つまり根源には「いつかは死ぬ」=「生存努力が必要」というのが残っているわけです。
また、もう一つ予防線と言うか、エネルギーを自己生産できるけれど、感覚として空腹は存在するし、空腹を放置するとストレスになる、という設定があります。死なないことにより生存努力をしなくなり、結果的に意識の活性が落ちることへの予防線設定となります。
本来「空腹感」とは生存努力のための警鐘ではないか、という疑問があると思いますが、これらは脳内でも原始的な分野、小脳などが司る部分になります。これらは肉体の変容から受ける影響に比較的強いので、10年間死ななくなった程度ではなくならない、と考えてもそんなに不自然ではありません。
かなり長期間不老不死を続けているトキタにも空腹があります。最初は「他の不老不死者に合わせるためか?」と思った設定なのですが、オチを見てなるほどと感じた部分の一つです。
トキタの意識は活性が衰えている様子はありません。不老不死を続けていてもトキタは生存努力(に起因するのであろう意識の高活性)を維持している様子です。
ここで疑問が出てきます。
「10年限定ではなく、ガチ不老不死の時間商人はどんな意識を持っているの?」
先に結論を言えば、トキタは「不老不死になったことで不老不死の精神になっている」ので、「人間とは精神構造が違う」のです。
読み始めの頃は「不老不死になっても精神は人間のまま変わらないアレかな」と思ったのですが、ラストになると「いや、これはしっかり人ならざる視点、人外に変容しているじゃないか」と思いました。
人ならざる意識、その精神は未知のものであり、不気味です。トキタ単体は不気味なキャラクターではありません。時間商人の動機が見えないことが、不気味さを作っています。
なにしろ、不老不死を売るというのですから、とんでもない商売です。
神の慈善事業か、悪魔の戯れか、それほどのことをやっているのに動機がさっぱりわからないのです。
トキタ自身がわからないといっているのですから、読者にはまったく分かりません。
そしてこれが、「時間商人 不老不死、二度売ります」の大テーマなのです。
何故時間商人は存在するのか
何故不老不死であるトキタとカナタは「生きている」のか
何故○○はこの世に存在するのか
この「何故?」に対して、ラストで物語全体を総括するオチがあるのですが、そのオチに持っていくために、前半から「何故だろう、わからない、不気味だ」と感じさせる構成、これがとても楽しいのです。
結論から言えば「こういう目的があってやっている」という明確な何かはないのです。無いんですが、オチている。
すべてのものは、必要とされるからこの世にある。
だから、時間商人も存在している。
この世に誰からも必要とされていないものは存在しない。
だから、時間商人は存在してもいい。
不老なるもの。寿命のないもの。○○についての知識は持っていたはずですが、オチにそれが収まるまで完全に忘れていました。オチにそれがきて「ああ!」と納得する快感は一番の見所じゃないかなと思います。
*利他行為と生存努力
第二章のクリスマスの話です。
利他行為と生存努力。ちょっとした「ドーキンス的な要素」なのですが、こうしたエピソードが「不老不死を扱った話」に織り込まれていることが、実に自分好みの展開だったのでニンマリしてしまいました。(この部分でピンポイントに面白さを感じてワクワクするひとはこのblog読者でも少ない気がしますが……)
利己的な愛も美しいというトキタのセリフは良い読後感です。
全体的に、平和だけれど斜陽な管理社会を舞台にした叙情的ディストピア小説のような味わいがあると思います。美しく枯れている感じというか。
*トキタの正体はニャル
そのままです。どうしてもトキタがニャルに見えてしまうのです。
出だしから時間商人の動機が分からず、「この人は何が真の目的で不老不死を売っているんだろう」「人類の様子を見て楽しんでいる超越した何かなのか」「ただ乱数を与えること自体が目的なトリックスターなのか」「むしろニャルなんじゃないか」と考えているうちに読み終わってしまいました。
第一章から「ニャルっぽい」印象を持ってしまったせいか、今でもトキタがニャルに見えて仕方ありません。
トリックスター的な要素もありますが、それ以上に「人類以外のなにか」発言が原因だと思います。真っ先に連想したのがアザトースでした。
だからって何でトキタニャル説に飛躍するんだとは思いますが、空耳と同じで「一度そう見えてしまうとそうとしか思えない現象」が……いやでもトキタ白いよね!なんでニャルに見えたんだろう。不思議!
追記:トキタといえば朱鷺田祐介氏(退魔生徒会のGM)、朱鷺田祐介氏といえば戦国クトゥルフなので、トキタ→朱鷺田祐介→ニャルという連想ゲームが無意識のうちにあったのかも。
鉄鼠の檻とBRAIN VALLEY
2009年2月22日 読書*舞城王太郎と伊坂幸太郎を間違えていた
探している本は舞城王太郎の「スクールアタック・シンドローム」(新潮文庫)でした。そりゃ伊坂幸太郎の欄を探しても見つからないはずだよ!
*宗教体験と悟り
発作的に瀬名秀明氏の「BRAIN VALLEY(ブレインバレー)」が読みたくなったので注文しました。
いずれBRAIN VALLEY、もしくは京極夏彦氏の「鉄鼠の檻」のレビューとして書こうと思っていたのですが、この二つは並列だと思ったので、感想としてまとめて書きます。
日記を書き始める前に、自分より前にBRAIN VALLEYと京極について書いている人が居ないかググってみました。あればリンクを貼ろうと思ったんですが、何件か触れているものはありましたが、両者を比べている文章は出てきませんでした。
自分も、ページ抜粋してまでこまかく比較するつもりはありません。だって両方あわせたら4000ページぐらいになるじゃん。
BRAIN VALLEY読後の感想と、BRAIN VALLEYを読むと鉄鼠の檻を連想するよ、ということだけ書きます。
BRAIN VALLEYが読みたくなったのは最近のことではなくて、2008年にまとめて京極を読んだときから「これはBRAIN VALLEYを読みなおしておく必要があるな」と思っていました。
ちなみに今まで放置していた京極を読んだのはアニメ化したからです。アニメ化直後ぐらいにまとめて全部読みました。びっくりするぐらい面白かった。そしてアニメ魍魎を1クールに収めたのにはさらにびっくり。ほぼ2話丸ごと京極堂のスーパー蘊蓄タイムに使ってたのに……
1クールのアニメで、25分間キャラが喋って終わるとか(しかも2回連続)、新基軸にしても程があった。
そんな強烈な体験に当てられて、原作(文庫)を一気に読みました。特に「鉄鼠の檻」が気になりました。一番BRAIN VALLEYに結びつく気がしたからです。
BRAIN VALLEYは、人類が今の人類の形に進化していったのは「神」を見たからだ、だったらさらに進化した脳ならより高次の「神」を見るのではないか、その「高次な脳」を作ってみようぜ!という話です。すごいネタバレだ。
これはBRAIN VALLEYを構成する一部であり、BRAIN VALLEYにはこれでもかと「神」と「脳」について山盛り盛り込まれているのですが、大筋はこんな感じです。
もっとも「神」といっても沢山あります。神ならpixivにもニコニコにもたくさんいます。BRAIN VALLEYでいう「神」とは、人類の脳が大脳辺縁系得に前頭葉を進化させたことで見出した「神」です。
あえて宗教でいうならば、キリスト教に代表される唯一神のことでしょう。このblog的にはロウの総大将、パワプロ神ですね。ところで知力のパラメーターがない人修羅はパワプロ神と戦えるんだろうか(ゴッドボイス的な意味で)。とりあえず監視塔が見えないのは確定として。
BRAIN VALLEYでは「神」は、宗教を人類に体験させた切っ掛け、「体験としての神」なので、船笠村では「お光様」であり、唯一神とイコールではありません。「出会った者にとって神としか呼びようのない存在」全般なのでしょう。
BRAIN VALLEYでは、それ(神としか呼びようのない存在)を神だと感じるのは人固有なのか、マウスやチンパンジーも同様に神を感じるのか、人工生命(AL)ならばどうかということを問いかけます。
こうした問いかけは前半から積み上げられていき、後半の「スーパー神降臨タイム」から、一気に際立ちます。この畳みかけは、とてもカタルシスを感じるところなので、ぜひとも前半の長い科学パートも読んでいただきたいところです。
BRAIN VALLEYの科学色が濃いところは、科学蘊蓄の多さではなくて、「計測できるものとしての神」に焦点を当て続けているところです。
神をテーマにした作品は多いですが、神を計測しようとする作品はあまり多くありません。多くの作品では、神は概念です。哲学や文学の領域であり、数値化できるものではないとされます。
「計測できるもの」として神を掴み取ろうとするからこそ、BRAIN VALLEYは科学色が濃いわけです。
最初に鉄鼠の檻を読んだとき、導入部分の「禅僧の脳波計測」から、これはBRAIN VALLEYの匂いがするなあと思ったのですが、読んでいくうちに、これはBRAIN VALLEYの「先」だなと感じるようになりました。
ひとまずはBRAIN VALLEYに戻ります。
BRAIN VALLEYは、観測しうる神を扱うので、体験データが何度も出てくるわけです。神に会った体験、作中では「臨死体験」ですね。
そして、神に会う、いわば幸福な体験と対になって、宇宙人にさらわれる恐怖体験「エイリアンアブダクション」が、作中重要な位置をしめています。BRAIN VALLEY前半の面白さは、アブダクション体験のホラー描写じゃないでしょうか。
ある悲劇の後、メアリーが「脳の中には天国も地獄もある」という考えに至ります。神との邂逅という幸福な幻と、エイリアンに誘拐される恐ろしい幻は表裏一体。どちらも人間の脳内から来たものだ、そう叫ぶシーンです。
ここから、BRAIN VALLEYが鉄鼠の檻に繋がっていきます。
BRAIN VALLEYは、「神秘的な宗教体験」をすべての元として出発します。あまりに強烈、あまりに超自然的、しかし幻だと思うにはあまりに現実感がある体験。そうしたものが人間の脳内に起るのなら、そのしくみを解明して、人工的に作り出せないかという話です。
鉄鼠の檻は、そうした超自然の宗教体験を「受け流す」ことから、禅の「悟り」は始まるのだ、という話なのです。
いうなれば、BRAIN VALLEYで、人々が命を掛けて追い求めたこと諸々を
「なるほど、そんな体験をしたのですか。ではそれを受け流しましょう」
から始まるわけです。
BRAIN VALLEYで、「神を見るという究極の答えを得てしまったら、それ以上の謎はないのではないか」という危惧が出てきますが、鉄鼠の檻はその危惧への回答かもしれません。
神を見るという究極の答えすら「受け流す」ことが「悟り」である。たしかに、これならば神を見ることはなんら危惧には成りえません。
また、鉄鼠の檻前半で、禅僧の脳波を計測しようという話が出るのですが、これはBRAIN VALLEYで言うところの「神を見る脳の働き」を知ろうとする部分と共通します。
鉄鼠の檻での実験目的は、瞑想中の脳波を知ることで、悟りの状態を解明できないかということなのですが、それは「悟り」を理解する上では意味がありません。
悟りというのは、BRAIN VALLEY的な脳の働きで見える宗教体験を「受け流す」ところにあるわけで、「宗教体験をしている脳の働き」を解明しても「悟り」はわからないのです。
BRAIN VALLEYで必死になったことをさらっと流すかのような鉄鼠の檻(というか禅)の流れに、BRAIN VALLEYを読んだ直後だと複雑な気持ちになります。
何故、鉄鼠の檻では宗教体験を受け流すことが悟りだとされるのか。それは、メアリーが叫んだ「脳の中には天国も地獄もある」ということにあります。
神との邂逅体験のような幸福な幻覚も、その裏はエイリアンアブダクションだったりするわけです。つまり、宗教体験というのは、悟りのような、人の感覚を超越した極地とはまったく違う、人の感覚内で起っているものに過ぎないわけです。
だから、それに目を奪われないで、受け流すことが悟りなのです。
普通、強烈な宗教体験を受け流すことはできません。たぶん。もしかしたら死なない限り無理なのかもしれません。だから鉄鼠の檻の作中で、禅は唯一生きたままそこに至る方法だ、という京極堂のセリフがあるぐらいです。生きたまま死者の境地に至る、というのは、まるで臨死体験の比喩のようです。
*認識と現実
BRAIN VALLEYと京極シリーズでは、認識と現実について触れている部分もちょっと共通しています。特にBRAIN VALLEYで、孝岡(主人公)がアブダクション体験をしている時の録画ビデオを見せられているシーンは、姑獲鳥を思い出しました。
基本的に両者とも「意識」、人の心を扱った話なので似る部分が多いのは当然なのかもしれませんが、アプローチが違うので比較すると面白い部分です。
言葉が「認識」に与える影響については、京極のほうが丁寧に描かれています。特に「塗仏の宴」では、言葉によって認識が誘導され、揺さぶられる様子が描かれています。
BRAIN VALLEYでは、メアリーの記憶がかなり唐突に書き換えられている部分があります。どのような方法で書き換えたのか、あるいはメアリー自身が認識したくない現実をねじまげて過去を捏造したのか、はっきり描かれていません。こうした部分は、京極シリーズのほうが事細かに書かれていたりします。
一方、京極シリーズでは薬物を使った記憶操作は、多少触れるのみでほとんど描かれていません。BRAIN VALLEYでは、「脳内での化学反応と記憶」の関係が丁寧に描かれています。個人的にBRAIN VALLEY前半は「脳内での化学反応と記憶」についてのスーパー蘊蓄タイムだと思います。
違う切り口から「認識と現実の差異」について描かれているので、両方を読むことでそれぞれのアプローチから、いかに人間の認識が脆弱なのか、何を信じればよいのかがわからなくなるスリルを楽しむことが出来ます。
基本的に、BRAIN VALLEYはスーパー蘊蓄タイムに次ぐスーパー蘊蓄タイムです。圧倒的な畳みかけは、「これ小学生に話す内容じゃない」と突っ込まれるのもうなずけることと思います。
鉄鼠の檻もスーパー蘊蓄タイムに次ぐスーパー蘊蓄タイムであることは同じですが、個人的に
「BRAIN VALLEYを読みきった人が鉄鼠の檻も読みきる確率」より
「鉄鼠の檻を読みきった人がBRAIN VALLEYも読みきる確率」のほうが低い気がします。
BRAIN VALLEYが話>>キャラクターなのに対し、鉄鼠のほうは話≦キャラクターぐらいに感じました。鉄鼠はキャラクターが楽しめればスーパー蘊蓄タイムが苦にならないような気がするのですが、BRAIN VALLEYはキャラクター補正でスーパー蘊蓄タイムを読みきるのはけっこう大変でした……。
ページは多いですが、どちらも大変面白い作品です。興味があれば是非読んでもらいたいなと思います。
探している本は舞城王太郎の「スクールアタック・シンドローム」(新潮文庫)でした。そりゃ伊坂幸太郎の欄を探しても見つからないはずだよ!
*宗教体験と悟り
発作的に瀬名秀明氏の「BRAIN VALLEY(ブレインバレー)」が読みたくなったので注文しました。
いずれBRAIN VALLEY、もしくは京極夏彦氏の「鉄鼠の檻」のレビューとして書こうと思っていたのですが、この二つは並列だと思ったので、感想としてまとめて書きます。
日記を書き始める前に、自分より前にBRAIN VALLEYと京極について書いている人が居ないかググってみました。あればリンクを貼ろうと思ったんですが、何件か触れているものはありましたが、両者を比べている文章は出てきませんでした。
自分も、ページ抜粋してまでこまかく比較するつもりはありません。だって両方あわせたら4000ページぐらいになるじゃん。
BRAIN VALLEY読後の感想と、BRAIN VALLEYを読むと鉄鼠の檻を連想するよ、ということだけ書きます。
BRAIN VALLEYが読みたくなったのは最近のことではなくて、2008年にまとめて京極を読んだときから「これはBRAIN VALLEYを読みなおしておく必要があるな」と思っていました。
ちなみに今まで放置していた京極を読んだのはアニメ化したからです。アニメ化直後ぐらいにまとめて全部読みました。びっくりするぐらい面白かった。そしてアニメ魍魎を1クールに収めたのにはさらにびっくり。ほぼ2話丸ごと京極堂のスーパー蘊蓄タイムに使ってたのに……
1クールのアニメで、25分間キャラが喋って終わるとか(しかも2回連続)、新基軸にしても程があった。
そんな強烈な体験に当てられて、原作(文庫)を一気に読みました。特に「鉄鼠の檻」が気になりました。一番BRAIN VALLEYに結びつく気がしたからです。
BRAIN VALLEYは、人類が今の人類の形に進化していったのは「神」を見たからだ、だったらさらに進化した脳ならより高次の「神」を見るのではないか、その「高次な脳」を作ってみようぜ!という話です。すごいネタバレだ。
これはBRAIN VALLEYを構成する一部であり、BRAIN VALLEYにはこれでもかと「神」と「脳」について山盛り盛り込まれているのですが、大筋はこんな感じです。
もっとも「神」といっても沢山あります。神ならpixivにもニコニコにもたくさんいます。BRAIN VALLEYでいう「神」とは、人類の脳が大脳辺縁系得に前頭葉を進化させたことで見出した「神」です。
あえて宗教でいうならば、キリスト教に代表される唯一神のことでしょう。このblog的にはロウの総大将、パワプロ神ですね。ところで知力のパラメーターがない人修羅はパワプロ神と戦えるんだろうか(ゴッドボイス的な意味で)。とりあえず監視塔が見えないのは確定として。
BRAIN VALLEYでは「神」は、宗教を人類に体験させた切っ掛け、「体験としての神」なので、船笠村では「お光様」であり、唯一神とイコールではありません。「出会った者にとって神としか呼びようのない存在」全般なのでしょう。
BRAIN VALLEYでは、それ(神としか呼びようのない存在)を神だと感じるのは人固有なのか、マウスやチンパンジーも同様に神を感じるのか、人工生命(AL)ならばどうかということを問いかけます。
こうした問いかけは前半から積み上げられていき、後半の「スーパー神降臨タイム」から、一気に際立ちます。この畳みかけは、とてもカタルシスを感じるところなので、ぜひとも前半の長い科学パートも読んでいただきたいところです。
BRAIN VALLEYの科学色が濃いところは、科学蘊蓄の多さではなくて、「計測できるものとしての神」に焦点を当て続けているところです。
神をテーマにした作品は多いですが、神を計測しようとする作品はあまり多くありません。多くの作品では、神は概念です。哲学や文学の領域であり、数値化できるものではないとされます。
「計測できるもの」として神を掴み取ろうとするからこそ、BRAIN VALLEYは科学色が濃いわけです。
最初に鉄鼠の檻を読んだとき、導入部分の「禅僧の脳波計測」から、これはBRAIN VALLEYの匂いがするなあと思ったのですが、読んでいくうちに、これはBRAIN VALLEYの「先」だなと感じるようになりました。
ひとまずはBRAIN VALLEYに戻ります。
BRAIN VALLEYは、観測しうる神を扱うので、体験データが何度も出てくるわけです。神に会った体験、作中では「臨死体験」ですね。
そして、神に会う、いわば幸福な体験と対になって、宇宙人にさらわれる恐怖体験「エイリアンアブダクション」が、作中重要な位置をしめています。BRAIN VALLEY前半の面白さは、アブダクション体験のホラー描写じゃないでしょうか。
ある悲劇の後、メアリーが「脳の中には天国も地獄もある」という考えに至ります。神との邂逅という幸福な幻と、エイリアンに誘拐される恐ろしい幻は表裏一体。どちらも人間の脳内から来たものだ、そう叫ぶシーンです。
ここから、BRAIN VALLEYが鉄鼠の檻に繋がっていきます。
BRAIN VALLEYは、「神秘的な宗教体験」をすべての元として出発します。あまりに強烈、あまりに超自然的、しかし幻だと思うにはあまりに現実感がある体験。そうしたものが人間の脳内に起るのなら、そのしくみを解明して、人工的に作り出せないかという話です。
鉄鼠の檻は、そうした超自然の宗教体験を「受け流す」ことから、禅の「悟り」は始まるのだ、という話なのです。
いうなれば、BRAIN VALLEYで、人々が命を掛けて追い求めたこと諸々を
「なるほど、そんな体験をしたのですか。ではそれを受け流しましょう」
から始まるわけです。
BRAIN VALLEYで、「神を見るという究極の答えを得てしまったら、それ以上の謎はないのではないか」という危惧が出てきますが、鉄鼠の檻はその危惧への回答かもしれません。
神を見るという究極の答えすら「受け流す」ことが「悟り」である。たしかに、これならば神を見ることはなんら危惧には成りえません。
また、鉄鼠の檻前半で、禅僧の脳波を計測しようという話が出るのですが、これはBRAIN VALLEYで言うところの「神を見る脳の働き」を知ろうとする部分と共通します。
鉄鼠の檻での実験目的は、瞑想中の脳波を知ることで、悟りの状態を解明できないかということなのですが、それは「悟り」を理解する上では意味がありません。
悟りというのは、BRAIN VALLEY的な脳の働きで見える宗教体験を「受け流す」ところにあるわけで、「宗教体験をしている脳の働き」を解明しても「悟り」はわからないのです。
BRAIN VALLEYで必死になったことをさらっと流すかのような鉄鼠の檻(というか禅)の流れに、BRAIN VALLEYを読んだ直後だと複雑な気持ちになります。
何故、鉄鼠の檻では宗教体験を受け流すことが悟りだとされるのか。それは、メアリーが叫んだ「脳の中には天国も地獄もある」ということにあります。
神との邂逅体験のような幸福な幻覚も、その裏はエイリアンアブダクションだったりするわけです。つまり、宗教体験というのは、悟りのような、人の感覚を超越した極地とはまったく違う、人の感覚内で起っているものに過ぎないわけです。
だから、それに目を奪われないで、受け流すことが悟りなのです。
普通、強烈な宗教体験を受け流すことはできません。たぶん。もしかしたら死なない限り無理なのかもしれません。だから鉄鼠の檻の作中で、禅は唯一生きたままそこに至る方法だ、という京極堂のセリフがあるぐらいです。生きたまま死者の境地に至る、というのは、まるで臨死体験の比喩のようです。
*認識と現実
BRAIN VALLEYと京極シリーズでは、認識と現実について触れている部分もちょっと共通しています。特にBRAIN VALLEYで、孝岡(主人公)がアブダクション体験をしている時の録画ビデオを見せられているシーンは、姑獲鳥を思い出しました。
基本的に両者とも「意識」、人の心を扱った話なので似る部分が多いのは当然なのかもしれませんが、アプローチが違うので比較すると面白い部分です。
言葉が「認識」に与える影響については、京極のほうが丁寧に描かれています。特に「塗仏の宴」では、言葉によって認識が誘導され、揺さぶられる様子が描かれています。
BRAIN VALLEYでは、メアリーの記憶がかなり唐突に書き換えられている部分があります。どのような方法で書き換えたのか、あるいはメアリー自身が認識したくない現実をねじまげて過去を捏造したのか、はっきり描かれていません。こうした部分は、京極シリーズのほうが事細かに書かれていたりします。
一方、京極シリーズでは薬物を使った記憶操作は、多少触れるのみでほとんど描かれていません。BRAIN VALLEYでは、「脳内での化学反応と記憶」の関係が丁寧に描かれています。個人的にBRAIN VALLEY前半は「脳内での化学反応と記憶」についてのスーパー蘊蓄タイムだと思います。
違う切り口から「認識と現実の差異」について描かれているので、両方を読むことでそれぞれのアプローチから、いかに人間の認識が脆弱なのか、何を信じればよいのかがわからなくなるスリルを楽しむことが出来ます。
基本的に、BRAIN VALLEYはスーパー蘊蓄タイムに次ぐスーパー蘊蓄タイムです。圧倒的な畳みかけは、「これ小学生に話す内容じゃない」と突っ込まれるのもうなずけることと思います。
鉄鼠の檻もスーパー蘊蓄タイムに次ぐスーパー蘊蓄タイムであることは同じですが、個人的に
「BRAIN VALLEYを読みきった人が鉄鼠の檻も読みきる確率」より
「鉄鼠の檻を読みきった人がBRAIN VALLEYも読みきる確率」のほうが低い気がします。
BRAIN VALLEYが話>>キャラクターなのに対し、鉄鼠のほうは話≦キャラクターぐらいに感じました。鉄鼠はキャラクターが楽しめればスーパー蘊蓄タイムが苦にならないような気がするのですが、BRAIN VALLEYはキャラクター補正でスーパー蘊蓄タイムを読みきるのはけっこう大変でした……。
ページは多いですが、どちらも大変面白い作品です。興味があれば是非読んでもらいたいなと思います。
断章のグリム〈1〉灰かぶり (電撃文庫)
2009年2月21日 読書
*レビュー練習その3だか4だか
電撃で一番楽しみにしているシリーズ。このシリーズ感想を書くのは初めてだったかな?
イラストを担当しているのは(openCanvasコミュニティサイトがportalgraphics.comという名前だった時代のユーザーにはおなじみの)三日月かけるさん。
あらすじ(公式サイトより)
高校生の白野蒼衣は、普通が一番と考える温和な少年。
ある日、ゴスロリ姿の美少女・時槻雪乃と出会い、人間の狂気が生み出した “灰かぶり(シンデレラ)の悪夢” の存在を知る。
彼女曰く、この世界に存在する怪現象は、すべて<神の悪夢>の欠片だというが……。
このシリーズは導入が分析心理学なのですが、そこから「神の悪夢」を「グリム童話」へ持って行くのが面白いです。
神話・伝説とは、集合的無意識の表出である。あるES患者が見たと言う「太陽から棒が延びて空気をかき回し風が起こる」現象と、よく似た伝承がローマ帝国で一時期信仰されたミトラ神話に残されていた。この患者にミトラ神話の知識は無い。この奇妙な符号は、ミトラ神話も患者が見た光景も、集合的無意識より出でたものだからである。
集合的無意識とは何か。それは神の見る夢である。人の無意識と神話・伝承は、神の夢を通して繋がっている。夢には良い夢も悪夢もある。神の悪夢ともなれば、それはただの夢に留まらず、悲劇として現実に表出してしまう。
現実にあふれ出た悪夢の泡は、神話・伝承のかたちをとって現れる。神の悪夢の破片は、まるで伝承を母体にした物語「グリム童話」をなぞるかのように悲劇を広げていく。
主人公の白野蒼衣(しらのあおい)は、あふれ出してしまった神の悪夢によって起る被害を、最小限に食い止めようと活動する団体、ロッジに所属しています。
次の被害者が出る前に、物語を読み解き、誰が悪夢の中心なのかを探し出すことができるのか。悪夢の恐ろしさと、悪夢に触れてしまった人間の悲劇。次の惨劇が起ってしまうのか、蒼衣たちの推理が間に合うのか、時間との戦いが見所です。
この、「最小限に食い止めよう」というところも、読んでいくうちに絶望感で追い詰められる神の悪夢の無慈悲さをよく現しています。神の悪夢は、根底から解決したり、完全に抑止できるものではないのです。
なんとか悪夢を沈静化できても、被害者たちの心には「断章」と言う形で悪夢の傷跡が残ってしまいます。断章はいつ悪性化するとも分からない腫瘍のようなもので、新たな悪夢として活性化してしまう危険性を秘めています。
大きな悲劇が終わっても、残された人々は爆弾を抱えながら暮らしていかなくてはなりません。ロッジとは、断章を持った人々の自助組織ですが、その根底には次なる惨劇の元となりかねない断章の監視があります。
事件の真相をといていく推理パートが、民俗学や神話を絡めていてこれまた面白いです。特に3巻4巻の「断章のグリム -人魚姫-」における、人魚姫と八尾比丘尼の比較は、民俗学色が濃いエピソードです。
そのうちオルフェウスとイザナギをやったりしないか楽しみです。
*ちょっとだけグロい
スプーン一杯のグロテスク。ドロドロした描写が多いです。各巻に必ず含まれています。
ヒロインでありもう一人の主人公である時槻雪乃(ときつきゆきの)からして、断章の能力が「肉体的苦痛を炎に変える」というものなので、毎回悪夢を焼くたびに自分の体を傷つけるという。
グロテスク表現が苦手な方は、留意しておいたほうが良いかもしれません。
電撃で一番楽しみにしているシリーズ。このシリーズ感想を書くのは初めてだったかな?
イラストを担当しているのは(openCanvasコミュニティサイトがportalgraphics.comという名前だった時代のユーザーにはおなじみの)三日月かけるさん。
あらすじ(公式サイトより)
高校生の白野蒼衣は、普通が一番と考える温和な少年。
ある日、ゴスロリ姿の美少女・時槻雪乃と出会い、人間の狂気が生み出した “灰かぶり(シンデレラ)の悪夢” の存在を知る。
彼女曰く、この世界に存在する怪現象は、すべて<神の悪夢>の欠片だというが……。
このシリーズは導入が分析心理学なのですが、そこから「神の悪夢」を「グリム童話」へ持って行くのが面白いです。
神話・伝説とは、集合的無意識の表出である。あるES患者が見たと言う「太陽から棒が延びて空気をかき回し風が起こる」現象と、よく似た伝承がローマ帝国で一時期信仰されたミトラ神話に残されていた。この患者にミトラ神話の知識は無い。この奇妙な符号は、ミトラ神話も患者が見た光景も、集合的無意識より出でたものだからである。
集合的無意識とは何か。それは神の見る夢である。人の無意識と神話・伝承は、神の夢を通して繋がっている。夢には良い夢も悪夢もある。神の悪夢ともなれば、それはただの夢に留まらず、悲劇として現実に表出してしまう。
現実にあふれ出た悪夢の泡は、神話・伝承のかたちをとって現れる。神の悪夢の破片は、まるで伝承を母体にした物語「グリム童話」をなぞるかのように悲劇を広げていく。
主人公の白野蒼衣(しらのあおい)は、あふれ出してしまった神の悪夢によって起る被害を、最小限に食い止めようと活動する団体、ロッジに所属しています。
次の被害者が出る前に、物語を読み解き、誰が悪夢の中心なのかを探し出すことができるのか。悪夢の恐ろしさと、悪夢に触れてしまった人間の悲劇。次の惨劇が起ってしまうのか、蒼衣たちの推理が間に合うのか、時間との戦いが見所です。
この、「最小限に食い止めよう」というところも、読んでいくうちに絶望感で追い詰められる神の悪夢の無慈悲さをよく現しています。神の悪夢は、根底から解決したり、完全に抑止できるものではないのです。
なんとか悪夢を沈静化できても、被害者たちの心には「断章」と言う形で悪夢の傷跡が残ってしまいます。断章はいつ悪性化するとも分からない腫瘍のようなもので、新たな悪夢として活性化してしまう危険性を秘めています。
大きな悲劇が終わっても、残された人々は爆弾を抱えながら暮らしていかなくてはなりません。ロッジとは、断章を持った人々の自助組織ですが、その根底には次なる惨劇の元となりかねない断章の監視があります。
事件の真相をといていく推理パートが、民俗学や神話を絡めていてこれまた面白いです。特に3巻4巻の「断章のグリム -人魚姫-」における、人魚姫と八尾比丘尼の比較は、民俗学色が濃いエピソードです。
そのうちオルフェウスとイザナギをやったりしないか楽しみです。
*ちょっとだけグロい
スプーン一杯のグロテスク。ドロドロした描写が多いです。各巻に必ず含まれています。
ヒロインでありもう一人の主人公である時槻雪乃(ときつきゆきの)からして、断章の能力が「肉体的苦痛を炎に変える」というものなので、毎回悪夢を焼くたびに自分の体を傷つけるという。
グロテスク表現が苦手な方は、留意しておいたほうが良いかもしれません。
サーベイランスマニュアル (GA文庫)
2009年2月20日 読書
*スーパー読書感想文タイム
完結記念にレビュー。
あらすじ(公式サイトより)
街中で暴走する虎に出くわしてしまった亮輔の前に現れたのは、警官でも自衛隊でもなく、黒ずくめで横柄な大男・巴と、真っ白な服に身を包んだ小柄な少女・寧であった。
暴れる虎を捕獲した彼らに行きがかり上つき合うこととなった亮輔は、連れて行かれた研究機関で驚くべき事実を知ることとなる――。それは「レックス」と呼ばれる、脅威の新型ウイルスの存在であった。
そして感染経路も、治癒方法も不確かなこのウイルスは、知らぬ間に亮輔の身近へも迫っていたのである!
未知のウイルスと対峙することとなった亮輔の選んだ道とは――!? 衝撃のバイオハザードストーリー登場!!
とても面白いんですが、その面白さを説明してしまうと
「極上のロリババアとステキな下僕たち」
に集約されてしまうという……面白いんですよ!面白いですよすごく。でもこう書くと軍曹がロリババア好き故に面白いと言っているようにしか聞こえないという。面白いですよすごく。
1巻でメインとなる登場人物は、
気高く純白で神秘的なロリババア 寧(ねい)
優しいけれど流されるだけじゃなくて芯の通った青年 山崎亮輔(やまさきりょうすけ)
不器用で粗忽で乱暴だけどロリババアに頭が上がらないCV三宅健太が似合いそうなおっさん(下僕1) 英田巴(あいだともえ)
年の割りにロリく見える美脚元気系(下僕2) 弓槻宝(ゆづきたから)
年の割りにロリく見える姉 山崎朝緋(やまさき あさひ)
一見いい人そうに見える悪い奴に見えるいい青年(下僕3) 都羽皓一(とわこういち)
変態所長(下僕4) 橘美貴(たちばなよしたか)
ドM秘書(下僕4の下僕) 坂上昌悟(さかがみしょうご)
ステキな布陣だ……!
読みを書かないと読めない人が地味に多いけど突飛過ぎるというほどでもない印象です。(ヤマザキじゃなくてヤマサキとか)
読みにくさを利用して、橘美貴の愛称がミキだったりするので、こういう名前が好きな作家なのかなと想像。
「衝撃のバイオハザードストーリー」とあるように、ジャンルはSFです。といっても、バイオのようなサバイバルホラーやゾンビ映画のようなパニックものではなく、どちらかといえば、伝染病を扱った医療サスペンスに近いものです。
サスペンスの定義は「不安の続く環境に置かれた人物の心理描写に重きが置かれるもの」なので、これはサスペンスです。
シリーズのテーマは、「病気に罹ったことは罪なのか」
人が獣に変身してしまうSFな伝染病ですが、カドケのように医療メインではなく、罹患した患者たちがどう生きていくかの話です。
あとがきによると、SARS(重症急性呼吸器症候群)で家族と隔離されてしまった人たちをニュースで見たことが作品を書くの切っ掛けになったそうです。
硬派なテーマをライトノベルの表現で描き、それが読んで「面白い」作品になっているのはすごいと思います。
3巻まではSFな伝染病を扱ったサスペンス
4巻からロリババア好きのためのロリババアを愛する本(4巻は寧が主人公)
そんなサーベイランスマニュアル。
完結記念にレビュー。
あらすじ(公式サイトより)
街中で暴走する虎に出くわしてしまった亮輔の前に現れたのは、警官でも自衛隊でもなく、黒ずくめで横柄な大男・巴と、真っ白な服に身を包んだ小柄な少女・寧であった。
暴れる虎を捕獲した彼らに行きがかり上つき合うこととなった亮輔は、連れて行かれた研究機関で驚くべき事実を知ることとなる――。それは「レックス」と呼ばれる、脅威の新型ウイルスの存在であった。
そして感染経路も、治癒方法も不確かなこのウイルスは、知らぬ間に亮輔の身近へも迫っていたのである!
未知のウイルスと対峙することとなった亮輔の選んだ道とは――!? 衝撃のバイオハザードストーリー登場!!
とても面白いんですが、その面白さを説明してしまうと
「極上のロリババアとステキな下僕たち」
に集約されてしまうという……面白いんですよ!面白いですよすごく。でもこう書くと軍曹がロリババア好き故に面白いと言っているようにしか聞こえないという。面白いですよすごく。
1巻でメインとなる登場人物は、
気高く純白で神秘的なロリババア 寧(ねい)
優しいけれど流されるだけじゃなくて芯の通った青年 山崎亮輔(やまさきりょうすけ)
不器用で粗忽で乱暴だけどロリババアに頭が上がらないCV三宅健太が似合いそうなおっさん(下僕1) 英田巴(あいだともえ)
年の割りにロリく見える美脚元気系(下僕2) 弓槻宝(ゆづきたから)
年の割りにロリく見える姉 山崎朝緋(やまさき あさひ)
一見いい人そうに見える悪い奴に見えるいい青年(下僕3) 都羽皓一(とわこういち)
変態所長(下僕4) 橘美貴(たちばなよしたか)
ドM秘書(下僕4の下僕) 坂上昌悟(さかがみしょうご)
ステキな布陣だ……!
読みを書かないと読めない人が地味に多いけど突飛過ぎるというほどでもない印象です。(ヤマザキじゃなくてヤマサキとか)
読みにくさを利用して、橘美貴の愛称がミキだったりするので、こういう名前が好きな作家なのかなと想像。
「衝撃のバイオハザードストーリー」とあるように、ジャンルはSFです。といっても、バイオのようなサバイバルホラーやゾンビ映画のようなパニックものではなく、どちらかといえば、伝染病を扱った医療サスペンスに近いものです。
サスペンスの定義は「不安の続く環境に置かれた人物の心理描写に重きが置かれるもの」なので、これはサスペンスです。
シリーズのテーマは、「病気に罹ったことは罪なのか」
人が獣に変身してしまうSFな伝染病ですが、カドケのように医療メインではなく、罹患した患者たちがどう生きていくかの話です。
あとがきによると、SARS(重症急性呼吸器症候群)で家族と隔離されてしまった人たちをニュースで見たことが作品を書くの切っ掛けになったそうです。
硬派なテーマをライトノベルの表現で描き、それが読んで「面白い」作品になっているのはすごいと思います。
3巻まではSFな伝染病を扱ったサスペンス
4巻からロリババア好きのためのロリババアを愛する本(4巻は寧が主人公)
そんなサーベイランスマニュアル。
黒い家 (角川ホラー文庫)
2009年2月19日 読書
引き続きレビューを書く練習。
たぶん感想を読みたい人は、ネタバレにならない程度のあらすじ&お薦めするところを書いて欲しいのかなと思うので、そのへんに留意して。
あらすじ
生命保険会社に勤める若槻(主人公)は、あるとき「自殺の場合も生命保険は支払われるのか」という電話を受ける。その電話に不審なものを感じ取った若槻は、小学生の頃兄が自殺した体験を話し、自殺をやめるように説得する。
そんな電話の一件を忘れかけた頃、若槻は菰田重徳という契約者に名指しで呼び出される。訪ねた先の重徳宅で、若槻は重徳の息子が首吊り自殺しているのを発見する。
若槻は不審な行動を取る重徳を疑う。これは自殺ではなく殺人なのではないか。
息子の保険金を支払うように、菰田重徳とその妻幸子は、連日若槻を訪ねる。繰り返される異常な催促に疑惑を抱いた若槻は、菰田重徳について独自の調査を開始するのだが……
主な登場人物は主人公の若槻、恋人の恵、菰田重徳、菰田幸子。このほかにも犯罪心理学者、刑事、保険会社の上司や潰し屋など。かなり沢山の登場人物が出てきますが、名前が出る文章では人物の特徴(役割)もセットで出てくるので「ここの会話に出てくる○○って誰?」とならずに読み進められます。
日本ホラー小説大賞授賞作だけあり、非常に怖いです。ヌルヌルした怖さです。
人物が多いにもかかわらず、誰が誰だすぐ分かる構成など、技術も高いです。
残虐描写もありますが、それ以上に「ここが怖い」と思ったのは、犯罪心理学者の金石がサイコパスについて説明するくだりです。
ダイオキシンや環境ホルモンのあたりはMMRを感じましたが、社会が弱者のための制度を整えるほど、それを悪用するサイコパスが社会を食い物にするという主張には、言い知れない恐怖を感じます。
恵が「この文章と同じものをどこかで見たことがある」といった伏線が判明した瞬間も、なかなか恐ろしい場面です。
怖さのインパクトではクライマックスに及びませんが、サイコパスが何故恐ろしいのか、そこに伏している重いものが、劇的シーンの後にずしりと追い討ちをかけてきます。
*報復戦略と裏切り戦略
サイコパスと福祉社会、ゲーム理論の協調-報復戦略と裏切り戦略の類似です。
多くの社会は、囚人ゲームで最も安定を示す協調-報復戦略に類する社会になります。
最初は協調し、相手が裏切ったら報復し、悔い改めたらまた協調する。近代法治国家はほぼこの協調-報復戦略です。
一方サイコパスは裏切り戦略です。もちろんこれは、協調-報復戦略ではすぐ報復されます。
しかし、社会が福祉社会になるということは、戦略で言えば博愛戦略、裏切られても報復しない戦略に近くなります。サイコパスが裏切り戦略をとっても、メリットが大きくデメリットが小さいのです。
サイコパスをゲームの駒とした場合、この駒は協調戦略を取りません。協調戦略を取らない駒が存在する盤面を、どう攻略するのか。「黒い家」が恐ろしいのは、物語が一旦終わっても、この難しい盤面のゲームは終わらないからなのかもしれません。
*「心がない」と言う表現
引っかかったのは、映画版のタイトルにも使われた「この人間には心がない」という部分です。
心の定義に関してですね。
心は善なる部分のみを指すのではありません。理性も感情もすべて内包するのですから、「この人間には心がない」というのにはどうしても引っかかるのです。犯人には、怒りや恨みといった感情と犯罪を隠蔽する判断力がありました。
あるいは、「黒い家」での「心」は、定義が違うのかもしれません。
ゲームの例えで言えば、協調戦略を取らない駒が「心がない」駒なのでしょう。そう考えると、「心」とは、協調と裏切りの選択肢二つで逡巡する「揺れ」そのものを指すのかもしれません。つねに裏切り一択ならばそこには「心」がないのです。
同様に、つねに博愛一択で、何の揺れもなければ、それはそれで「心」がないのでしょう。複数の選択があり、どれを選ぶか迷うものが「心」であり、「考える」ということならば、思考を「放棄」して、選択肢が最初から一つしかないのは「心」がない。そんな風にも見えてきます。
たぶん感想を読みたい人は、ネタバレにならない程度のあらすじ&お薦めするところを書いて欲しいのかなと思うので、そのへんに留意して。
あらすじ
生命保険会社に勤める若槻(主人公)は、あるとき「自殺の場合も生命保険は支払われるのか」という電話を受ける。その電話に不審なものを感じ取った若槻は、小学生の頃兄が自殺した体験を話し、自殺をやめるように説得する。
そんな電話の一件を忘れかけた頃、若槻は菰田重徳という契約者に名指しで呼び出される。訪ねた先の重徳宅で、若槻は重徳の息子が首吊り自殺しているのを発見する。
若槻は不審な行動を取る重徳を疑う。これは自殺ではなく殺人なのではないか。
息子の保険金を支払うように、菰田重徳とその妻幸子は、連日若槻を訪ねる。繰り返される異常な催促に疑惑を抱いた若槻は、菰田重徳について独自の調査を開始するのだが……
主な登場人物は主人公の若槻、恋人の恵、菰田重徳、菰田幸子。このほかにも犯罪心理学者、刑事、保険会社の上司や潰し屋など。かなり沢山の登場人物が出てきますが、名前が出る文章では人物の特徴(役割)もセットで出てくるので「ここの会話に出てくる○○って誰?」とならずに読み進められます。
日本ホラー小説大賞授賞作だけあり、非常に怖いです。ヌルヌルした怖さです。
人物が多いにもかかわらず、誰が誰だすぐ分かる構成など、技術も高いです。
残虐描写もありますが、それ以上に「ここが怖い」と思ったのは、犯罪心理学者の金石がサイコパスについて説明するくだりです。
ダイオキシンや環境ホルモンのあたりはMMRを感じましたが、社会が弱者のための制度を整えるほど、それを悪用するサイコパスが社会を食い物にするという主張には、言い知れない恐怖を感じます。
恵が「この文章と同じものをどこかで見たことがある」といった伏線が判明した瞬間も、なかなか恐ろしい場面です。
怖さのインパクトではクライマックスに及びませんが、サイコパスが何故恐ろしいのか、そこに伏している重いものが、劇的シーンの後にずしりと追い討ちをかけてきます。
*報復戦略と裏切り戦略
サイコパスと福祉社会、ゲーム理論の協調-報復戦略と裏切り戦略の類似です。
多くの社会は、囚人ゲームで最も安定を示す協調-報復戦略に類する社会になります。
最初は協調し、相手が裏切ったら報復し、悔い改めたらまた協調する。近代法治国家はほぼこの協調-報復戦略です。
一方サイコパスは裏切り戦略です。もちろんこれは、協調-報復戦略ではすぐ報復されます。
しかし、社会が福祉社会になるということは、戦略で言えば博愛戦略、裏切られても報復しない戦略に近くなります。サイコパスが裏切り戦略をとっても、メリットが大きくデメリットが小さいのです。
サイコパスをゲームの駒とした場合、この駒は協調戦略を取りません。協調戦略を取らない駒が存在する盤面を、どう攻略するのか。「黒い家」が恐ろしいのは、物語が一旦終わっても、この難しい盤面のゲームは終わらないからなのかもしれません。
*「心がない」と言う表現
引っかかったのは、映画版のタイトルにも使われた「この人間には心がない」という部分です。
心の定義に関してですね。
心は善なる部分のみを指すのではありません。理性も感情もすべて内包するのですから、「この人間には心がない」というのにはどうしても引っかかるのです。犯人には、怒りや恨みといった感情と犯罪を隠蔽する判断力がありました。
あるいは、「黒い家」での「心」は、定義が違うのかもしれません。
ゲームの例えで言えば、協調戦略を取らない駒が「心がない」駒なのでしょう。そう考えると、「心」とは、協調と裏切りの選択肢二つで逡巡する「揺れ」そのものを指すのかもしれません。つねに裏切り一択ならばそこには「心」がないのです。
同様に、つねに博愛一択で、何の揺れもなければ、それはそれで「心」がないのでしょう。複数の選択があり、どれを選ぶか迷うものが「心」であり、「考える」ということならば、思考を「放棄」して、選択肢が最初から一つしかないのは「心」がない。そんな風にも見えてきます。
ラプンツェルの翼 (電撃文庫)
2009年2月10日 読書
*基本は「ラノベでカイジ」
土橋真二郎氏7冊目の作品です。
いつも通りの土橋真二郎節で安心しました。
カイジからダメ人間成分をすこし引いて、その分にラノベ主人公っぽいモテ成分を差し込んだような感じといえば雰囲気が伝わるでしょうか。
土橋真二郎氏の作品といえば、ドライな(生活臭の薄い)主人公が、強制的にゲームに巻き込まれて、カネと権力を持った巨大な存在が主催するゲームをクリアしていく「ゲームノベル」。
登場するのは、幼馴染ポジションの主人公におせっかいを焼いてくれる女房役と、敵か味方か意味深な美少女。
ゲームのルールはシンプル。それだけに「ゲームの真の意味」をいかに早く見つけるか、少ない手がかりから、どれだけ裏を読み取るか。
だいたいこんな感じです。
『ラプンツェルの翼』も、骨子となる土橋真二郎節はかわりません。
『扉の外』『ツァラトゥストラの階段』と比べると、ゲーム要素は薄まり、ヒロインの奈々は何者なのか、彼女たちが戦っているのは何者なのかといった、バトル要素が濃くなっています。
どちらかといえばゲームノベルを読んだことがない人向けかな?と感じました。
あえて分類するなら、登場人物に移入して楽しむと言うよりは、謎が解明されていく過程や、予想を裏切る展開を楽しむ小説です。
むう、『ラプンツェルの翼』についてネタバレをしないように印象を書いたら、扉・階段の感想と同じ内容だコレ。面白いレビューや感想を書くのは苦手なので、読んで面白かったら片っ端から感想を書いて場数踏むしかないな。
個人的な順位では階段>扉>翼。脳を使いすぎて倒れるぐらい頭を絞る展開が好きなので、ずばりその通りに「脳を使いすぎて主人公が倒れる話」である階段が一番好みです。
ゲーム度の濃さは
扉の外:カイジ+CUBE+SAW
ツァラトゥストラへの階段:ライアーゲーム+賭博覇王伝 零
ラプンツェルの翼:カイジ+バトルロワイヤル
こんな感じ。階段のゲーム濃度が一番高い気がする。
*いま購読中のシリーズ
可能な限り感想を書く練習をしたいところ。
・サーベイランスマニュアル
・断章のグリム
・狼と香辛料
ギミック(情報戦、推理)重視のラノベが多いかな?あとはリプレイ系ですが最近は退魔生徒会しか読んでません。
読んでいない中では「消閑の挑戦者」というシリーズが気になるので探してみようかと。
サーベイランスは25日に最新刊が出ます。
http://ga.sbcr.jp/novel/surveillance/index.html
土橋真二郎氏7冊目の作品です。
いつも通りの土橋真二郎節で安心しました。
カイジからダメ人間成分をすこし引いて、その分にラノベ主人公っぽいモテ成分を差し込んだような感じといえば雰囲気が伝わるでしょうか。
土橋真二郎氏の作品といえば、ドライな(生活臭の薄い)主人公が、強制的にゲームに巻き込まれて、カネと権力を持った巨大な存在が主催するゲームをクリアしていく「ゲームノベル」。
登場するのは、幼馴染ポジションの主人公におせっかいを焼いてくれる女房役と、敵か味方か意味深な美少女。
ゲームのルールはシンプル。それだけに「ゲームの真の意味」をいかに早く見つけるか、少ない手がかりから、どれだけ裏を読み取るか。
だいたいこんな感じです。
『ラプンツェルの翼』も、骨子となる土橋真二郎節はかわりません。
『扉の外』『ツァラトゥストラの階段』と比べると、ゲーム要素は薄まり、ヒロインの奈々は何者なのか、彼女たちが戦っているのは何者なのかといった、バトル要素が濃くなっています。
どちらかといえばゲームノベルを読んだことがない人向けかな?と感じました。
あえて分類するなら、登場人物に移入して楽しむと言うよりは、謎が解明されていく過程や、予想を裏切る展開を楽しむ小説です。
むう、『ラプンツェルの翼』についてネタバレをしないように印象を書いたら、扉・階段の感想と同じ内容だコレ。面白いレビューや感想を書くのは苦手なので、読んで面白かったら片っ端から感想を書いて場数踏むしかないな。
個人的な順位では階段>扉>翼。脳を使いすぎて倒れるぐらい頭を絞る展開が好きなので、ずばりその通りに「脳を使いすぎて主人公が倒れる話」である階段が一番好みです。
ゲーム度の濃さは
扉の外:カイジ+CUBE+SAW
ツァラトゥストラへの階段:ライアーゲーム+賭博覇王伝 零
ラプンツェルの翼:カイジ+バトルロワイヤル
こんな感じ。階段のゲーム濃度が一番高い気がする。
*いま購読中のシリーズ
可能な限り感想を書く練習をしたいところ。
・サーベイランスマニュアル
・断章のグリム
・狼と香辛料
ギミック(情報戦、推理)重視のラノベが多いかな?あとはリプレイ系ですが最近は退魔生徒会しか読んでません。
読んでいない中では「消閑の挑戦者」というシリーズが気になるので探してみようかと。
サーベイランスは25日に最新刊が出ます。
http://ga.sbcr.jp/novel/surveillance/index.html
退魔生徒会屋久島奇譚―Replay:真・女神転生TRPG魔都東京200X
2007年10月18日 読書ISBN:4861764475 文庫 朱鷺田 祐介 ジャイブ 2007/10 ¥882
「退魔生徒会3巻買って来たよ!」
http://www.jive-ltd.co.jp/catalog/4861764479.html
「どうだった」
「大変なことが起こった!」
「ほう」
「メガテンリプレイの癖にふつうに面白かったんじゃ…(ガクガクブルブル)」
「マ、マジカ!!(ガクガクブルブル)」
※メガテンリプといえば地雷リプレイを薦めるスレで万年上位である
*今回のベストセリフは「ググれ」
「空気読まないネタバレたーいむ」
「今回も鱗は美味しいところもって行った」
「というかあそこが3巻を普通に面白くしてたポイントだろ」
「おかげでリプレイとしてすげえ楽しめた。やっぱ頭使って戦うリプレイは面白いわー」
「あと毎回思うんだけど、キャラクターシートの娘。のコネ間違ってない?」
「ん?……あ、シジマのMハゲになっとる。これ苺のコネだよね」
「3巻めでも直ってないよー」
「正しくはノクターンに出てくるジャーナリストだっけ?」
「そうそう、マネキンでゾンビと戦う強キャラの」
「違エエエェェェェ!!」
※フランクさんはデッドライジングの主人公です
*補正
「3巻が面白かったことについては、虹テン補正を認めざるを得ない」
「背景世界や用語が段違いに理解できちゃうからなー」
「それまでは単なる『未来からの刺客ロボ』程度の理解でしかなかったアニーも、今回は出番メシアの時代から来たロウの犬とか、そもそも出番メシアの世界が出来る原因とか、ロウは本当にロボ好きだよねとかまで説明されなくても頭に入ってるし」
「if男・アレフ山・サイバネ先輩の解説スレには感謝だなー」
「しかし、後発機の改良型アニーが”姉”っていうのはおかしいよね」
「妹だよね…」
「とまあ、背景への理解が広がったから面白く感じるようになったというならば、今1巻2巻を読んだら面白いに違いない!」
「おお!」
「結果:ふう、やっぱメガテンリプは何起こってるのかさっぱりわからないな」
「エエエエエエ」
「でも虹テン補正があるにはあったよ!雪だるま君戦では、if世界からやってきた男の姿がみえるような気がしたよ!」
「それプラズマ先生だから!プラズマ先生だからそれ!」
※プラズマ先生は常連NPCとして普通に登場します
*帝都
「それよりも最後の次巻予告が問題なんだけど」
「大正妖都ええええ!」
「さすがTRPG、何でもありだ」
「退魔生徒会3巻買って来たよ!」
http://www.jive-ltd.co.jp/catalog/4861764479.html
「どうだった」
「大変なことが起こった!」
「ほう」
「メガテンリプレイの癖にふつうに面白かったんじゃ…(ガクガクブルブル)」
「マ、マジカ!!(ガクガクブルブル)」
※メガテンリプといえば地雷リプレイを薦めるスレで万年上位である
*今回のベストセリフは「ググれ」
「空気読まないネタバレたーいむ」
「今回も鱗は美味しいところもって行った」
「というかあそこが3巻を普通に面白くしてたポイントだろ」
「おかげでリプレイとしてすげえ楽しめた。やっぱ頭使って戦うリプレイは面白いわー」
「あと毎回思うんだけど、キャラクターシートの娘。のコネ間違ってない?」
「ん?……あ、シジマのMハゲになっとる。これ苺のコネだよね」
「3巻めでも直ってないよー」
「正しくはノクターンに出てくるジャーナリストだっけ?」
「そうそう、マネキンでゾンビと戦う強キャラの」
「違エエエェェェェ!!」
※フランクさんはデッドライジングの主人公です
*補正
「3巻が面白かったことについては、虹テン補正を認めざるを得ない」
「背景世界や用語が段違いに理解できちゃうからなー」
「それまでは単なる『未来からの刺客ロボ』程度の理解でしかなかったアニーも、今回は出番メシアの時代から来たロウの犬とか、そもそも出番メシアの世界が出来る原因とか、ロウは本当にロボ好きだよねとかまで説明されなくても頭に入ってるし」
「if男・アレフ山・サイバネ先輩の解説スレには感謝だなー」
「しかし、後発機の改良型アニーが”姉”っていうのはおかしいよね」
「妹だよね…」
「とまあ、背景への理解が広がったから面白く感じるようになったというならば、今1巻2巻を読んだら面白いに違いない!」
「おお!」
「結果:ふう、やっぱメガテンリプは何起こってるのかさっぱりわからないな」
「エエエエエエ」
「でも虹テン補正があるにはあったよ!雪だるま君戦では、if世界からやってきた男の姿がみえるような気がしたよ!」
「それプラズマ先生だから!プラズマ先生だからそれ!」
※プラズマ先生は常連NPCとして普通に登場します
*帝都
「それよりも最後の次巻予告が問題なんだけど」
「大正妖都ええええ!」
「さすがTRPG、何でもありだ」
血の妖石は宿命の道標―Replay:ゲヘナ~アナスタシス
2007年9月17日 読書ISBN:4861764386 文庫 グループSNE ジャイブ 2007/09 ¥882
「公式発売日も経過したし、これでネタバレ全開放!」
「自分を!解き放て!」
*首領級邪霊とかご褒美です!
「傍観派邪霊の801うけしそうな設定吹いたw」
「さすが楽喜だ!人外種族の生殖方法を2ページにわたって解説とか伊達じゃねえ!」
「魔星降臨の再販まだですか」
*ゲヘナといえばエロ成分
「なにこの公式フラグが男×男!」
「出会って即結婚してくれ吹いたw」
「半妖霊でカリスマ女顔フラグめどいとか、イルクマジギャルゲ主人公」
「ターヴの すごい フラグ修羅ポジション」
「心臓と心臓の赤い糸と申したか」
「誰
上
言」
「一番えろいヒロインが男とかゲヘナでは良くあること!」
「パルヴィーン結婚してくれ!」
「パルきゅんなんであんな性的なの?」
「さすが中の人がさなえって言われるだけはある!」
「でも血石のヒロインたち男度高すぎるよね。むしろ中の人男だよねあの男度」
「軍曹の中ではイルクの中の人だけが女性で、あと全員男PLってことになってる」
「実はイルクが俺っ娘!そういうのもあるのか!」
「ああ、それもいいな、最後は四行詩の力とかでイルクが女になってターヴ×イルク」
「新機軸にも程があるな」
「しかし血石のエロはなぜああも即ギャグ化しますか」
「俺もお前も男だけど結婚してくれだのババア逆レイプだのししゃもだの…ウウッ」
「一番エロかったのはシシの達磨だと思うぞ」
「巻末の首領級邪霊もエロい」
*獣甲はツッコミ、みんな知ってるね
「ザーニハー、シバーブ、ラシーダ、そしてガラーム。ホンマ獣甲が居なかったらだれもツッコミできない!」
「獣甲は常識人でツッコミ役、みんな知ってるね」
「ストレスと胃薬が似合うポジションとも言う(特にザーニハーとシバーブ)」
「もしくはみんなのお母さん(特にラシーダ)」
「2巻以降のガラームがどっちに化けるか期待だな」
*キラキラからのゲスト吹いた
「ヴィラージェさん大活躍〜」
「ダールさんとかご褒美です!マジご褒美です!!!!!!!これはもう描くしかねええええええ!!!!!!!」
「ダールさんノリ良すぎて吹いたwww」
「娘を支えてくれる仲間を娘が支えてる吹いたw」
「甲斐性なしの顔思い出す吹いたw」
「でもスカートめくりはヤバいと思うぞ!イルク!」
「ラシーダ穿いてないよ!穿いてないよラシーダ?!」
*次巻11月
「 マ ジ カ ! ! ! ! 」
「次出るのはええええ!!!」
「しかも噂によると、キラキラに続いてアザテンからのゲストも出るらしいぜ!!」
「 MA ☆ JI ☆ KA ! ! ! ! 」
「やばい11月来るまでは何があっても死ねないねこりゃ!!」
「公式発売日も経過したし、これでネタバレ全開放!」
「自分を!解き放て!」
*首領級邪霊とかご褒美です!
「傍観派邪霊の801うけしそうな設定吹いたw」
「さすが楽喜だ!人外種族の生殖方法を2ページにわたって解説とか伊達じゃねえ!」
「魔星降臨の再販まだですか」
*ゲヘナといえばエロ成分
「なにこの公式フラグが男×男!」
「出会って即結婚してくれ吹いたw」
「半妖霊でカリスマ女顔フラグめどいとか、イルクマジギャルゲ主人公」
「ターヴの すごい フラグ修羅ポジション」
「心臓と心臓の赤い糸と申したか」
「誰
上
言」
「一番えろいヒロインが男とかゲヘナでは良くあること!」
「パルヴィーン結婚してくれ!」
「パルきゅんなんであんな性的なの?」
「さすが中の人がさなえって言われるだけはある!」
「でも血石のヒロインたち男度高すぎるよね。むしろ中の人男だよねあの男度」
「軍曹の中ではイルクの中の人だけが女性で、あと全員男PLってことになってる」
「実はイルクが俺っ娘!そういうのもあるのか!」
「ああ、それもいいな、最後は四行詩の力とかでイルクが女になってターヴ×イルク」
「新機軸にも程があるな」
「しかし血石のエロはなぜああも即ギャグ化しますか」
「俺もお前も男だけど結婚してくれだのババア逆レイプだのししゃもだの…ウウッ」
「一番エロかったのはシシの達磨だと思うぞ」
「巻末の首領級邪霊もエロい」
*獣甲はツッコミ、みんな知ってるね
「ザーニハー、シバーブ、ラシーダ、そしてガラーム。ホンマ獣甲が居なかったらだれもツッコミできない!」
「獣甲は常識人でツッコミ役、みんな知ってるね」
「ストレスと胃薬が似合うポジションとも言う(特にザーニハーとシバーブ)」
「もしくはみんなのお母さん(特にラシーダ)」
「2巻以降のガラームがどっちに化けるか期待だな」
*キラキラからのゲスト吹いた
「ヴィラージェさん大活躍〜」
「ダールさんとかご褒美です!マジご褒美です!!!!!!!これはもう描くしかねええええええ!!!!!!!」
「ダールさんノリ良すぎて吹いたwww」
「娘を支えてくれる仲間を娘が支えてる吹いたw」
「甲斐性なしの顔思い出す吹いたw」
「でもスカートめくりはヤバいと思うぞ!イルク!」
「ラシーダ穿いてないよ!穿いてないよラシーダ?!」
*次巻11月
「 マ ジ カ ! ! ! ! 」
「次出るのはええええ!!!」
「しかも噂によると、キラキラに続いてアザテンからのゲストも出るらしいぜ!!」
「 MA ☆ JI ☆ KA ! ! ! ! 」
「やばい11月来るまでは何があっても死ねないねこりゃ!!」
ISBN:4840238499 文庫 土橋 真二郎 メディアワークス 2007/05 ¥599
正直、今回のタイトルは間違っている。
今回は「もしも人工知能が世界を支配していた場合のシミュレーションケース2」でしたわ。
といっても、軍曹がこのタイトル(もしも人工知能が〜)を使うような物語を書くとしたら、
間違いなく「異質な機械知性とのディスコミュニケーション」が主眼に来るけど、
扉の外は、今日も「閉鎖空間における人間の行動と心理」でした。
その点では、「人間心理殺伐モノ」として1を楽しんだ人は、今回も楽しめるよ。
*今回のネタばれ
・前回頻出した「なんで腕輪はずした男たちによる女子生徒レイプがないんだ」というリクエストに応えた
・今回の女たちは、1に比べるとおとなしい
・正樹愛美のCVは軍曹の中でゴトゥーザ様
・カイジ
*今回もやっぱりいろいろ惜しい
ものすごく夢中で読んでたらしく、錦糸町から千葉までに読み終わってしまった。
ということはそれだけ、ぶっ通し読める面白さだ。
が、家に帰って寝ながら読むと「ちょwwww」が何点か出てくるな。
たとえば、バトロワ結論とか。違和感あったなあ。
あと、ルール説明の時点で、勘がよければ瞬時に「これはカイジwwwww」ってわかる。主人公より先に気づいてしまうのは惜しい。
最近はライアーゲーム?でも出てきたらしいね。
ですが、今回もCUBEばりの「作られた意味がわからん罠テクノロジー」は健在。
そしてCUBEばりの「運用の目的がまったくわからん」も健在。
3巻も楽しみです。
正直、今回のタイトルは間違っている。
今回は「もしも人工知能が世界を支配していた場合のシミュレーションケース2」でしたわ。
といっても、軍曹がこのタイトル(もしも人工知能が〜)を使うような物語を書くとしたら、
間違いなく「異質な機械知性とのディスコミュニケーション」が主眼に来るけど、
扉の外は、今日も「閉鎖空間における人間の行動と心理」でした。
その点では、「人間心理殺伐モノ」として1を楽しんだ人は、今回も楽しめるよ。
*今回のネタばれ
・前回頻出した「なんで腕輪はずした男たちによる女子生徒レイプがないんだ」というリクエストに応えた
・今回の女たちは、1に比べるとおとなしい
・正樹愛美のCVは軍曹の中でゴトゥーザ様
・カイジ
*今回もやっぱりいろいろ惜しい
ものすごく夢中で読んでたらしく、錦糸町から千葉までに読み終わってしまった。
ということはそれだけ、ぶっ通し読める面白さだ。
が、家に帰って寝ながら読むと「ちょwwww」が何点か出てくるな。
たとえば、バトロワ結論とか。違和感あったなあ。
あと、ルール説明の時点で、勘がよければ瞬時に「これはカイジwwwww」ってわかる。主人公より先に気づいてしまうのは惜しい。
最近はライアーゲーム?でも出てきたらしいね。
ですが、今回もCUBEばりの「作られた意味がわからん罠テクノロジー」は健在。
そしてCUBEばりの「運用の目的がまったくわからん」も健在。
3巻も楽しみです。
ダークエルフの口づけ (2)
2007年3月23日 読書
ISBN:4829119020 文庫 川人 忠明 富士見書房 2007/02 ¥609
いろいろあってようやく読んだよ!
おそらくSWの長編ラノベとして今一番面白いんじゃないかと思ってるシリーズ。
・惜しみなく出てくる登場人物を惜しみなく使い潰す人間関係
・ファンドリアという舞台に相応しい権謀術数の応酬
・愛されるか殺されるか、常に二択
・むしろ恋愛フラグ=死にフラグ
・百合
タイトルが口づけなので、今後も1巻つき1回は女×女でキスしたりされたりがあるのかしらかしら。
テーマが陰謀の割には、読んでいてドロドロしないというか、印象が美しい(ベラの神秘性と美しさを強調して描いているせいか)。イラストの力もある。
ソードワールドという世界設定は気にせずに、ラノベとして読み応えがあってお勧めです。
百合度は、期待するほど高くないな。作者に百合属性がある感じはする。
あ、ゲヘナとクレオパトラ・ダンディに圧殺されてしまったけど、でもんぱリプレイ3巻面白かったよ!って書くの忘れてた。
もうだいぶ内容忘れちゃったけど。
*記憶に残ってる見所
・漢宿(おとこじゅく)
・今度触手の使い方を教えてあげるですよ
・タッシェ>十三
・振る→失敗「出来る!出来るのだ!」振りなおし→失敗「もうやめるですよ十三!」
・タッシェ>>越えられない壁>>十三
・マザコン「ヒロフミスマッシャー!」他メンバー「なんかすごい必殺技出たー!!」
・北沢×力造
十三は職業を「探偵」から「探偵(笑)」に変えたほうがいいよ。
いろいろあってようやく読んだよ!
おそらくSWの長編ラノベとして今一番面白いんじゃないかと思ってるシリーズ。
・惜しみなく出てくる登場人物を惜しみなく使い潰す人間関係
・ファンドリアという舞台に相応しい権謀術数の応酬
・愛されるか殺されるか、常に二択
・むしろ恋愛フラグ=死にフラグ
・百合
タイトルが口づけなので、今後も1巻つき1回は女×女でキスしたりされたりがあるのかしらかしら。
テーマが陰謀の割には、読んでいてドロドロしないというか、印象が美しい(ベラの神秘性と美しさを強調して描いているせいか)。イラストの力もある。
ソードワールドという世界設定は気にせずに、ラノベとして読み応えがあってお勧めです。
百合度は、期待するほど高くないな。作者に百合属性がある感じはする。
あ、ゲヘナとクレオパトラ・ダンディに圧殺されてしまったけど、でもんぱリプレイ3巻面白かったよ!って書くの忘れてた。
もうだいぶ内容忘れちゃったけど。
*記憶に残ってる見所
・漢宿(おとこじゅく)
・今度触手の使い方を教えてあげるですよ
・タッシェ>十三
・振る→失敗「出来る!出来るのだ!」振りなおし→失敗「もうやめるですよ十三!」
・タッシェ>>越えられない壁>>十三
・マザコン「ヒロフミスマッシャー!」他メンバー「なんかすごい必殺技出たー!!」
・北沢×力造
十三は職業を「探偵」から「探偵(笑)」に変えたほうがいいよ。
ISBN:4840237174 文庫 土橋 真二郎 メディアワークス 2007/02 ¥557
電撃の金賞を受賞したやつで、二次通過が発表された頃から読みたい読みたいといい続けていた一本です。
著者の土橋真二郎氏は、なかなかの投稿職人暦を持っているようで、書き続けて実力を磨き晴れての受賞という感じですかね。
*感想
騙された。
いい意味と悪い意味で騙された。
まずはいい意味から。面白かったです。
もともと「受賞しないかもしれない、数ある応募作のうちのひとつ」だった頃から、これ読みたいこれ読みたいといい続けていたものなので、面白くなかったらそりゃがっくりするだろうw
もっとも、ここに至るまでには、
ようやく読める→だ、騙された!→騙されたが面白かった
という流れがあるのですが。
では悪い意味を。
人工知能関係ないやん……
この作品、原題は「もしも人工知能が世界を支配していた場合のシミュレーションケース1」※という、タイトルだけでごはんが四杯おかわりできそうな代物だったんですよ。
そりゃもうどれだけ人工知能な話なのかとワクテカワクテカしていたのですよ。
「扉の外」に改題されて発売と知ったときも、扉という単語が「夏への扉」を連想させて、これはアレか、乙女回路搭載のハイヤード・メイドガールがご主人様はにゃーんな話なのかと(ry
ぜんぜん違うし。
「扉の外」というタイトルに変わったことはいいと思います。原題のままだったら訴えてた。
内容は「CUBE系青春群像中二病風味」で、特にメスの強さをねばっこく描写しているあたりが非常に軍曹好みでした。
元々軍曹は「母系社会で強い女リーダーが、オスを扇動して閉鎖された社会を支配している」系の話が大好きなので、そう言う意味では当たりを引いた。
まあ人工知能を期待して買うもんじゃないと思うよ!
人工知能があまり関係してこないとわかった中盤から、ストーリーのSFな部分はどうでもよくなって、いかに主人公がダメ男かを楽しむものにかわっていくあたりが人を選ぶ。
この主人公、要するに岡目八目の観察者なんだけど、孤高の人なんてカッコイイものじゃなくて、本質的に「やる気のないドッヂボールのモトガイ(最初から外野)」なんですよ。
強いメスと対比して、こいつの戦う気のなさが軽い。いやもう実に軽薄。描写が硬派なだけに、冷静に見返すと「結局お前ヒモじゃん!」というギャップが一層アレ。
メスはメスで、タイプは違えど揃ってディクテーター。
そこがニターッと楽しめる人には面白いのだぜこの本は。欲を言えばもっとニタニタさせてほしかったです。え?5月に続編が出るって?
あ、べっとりと青臭いので、そもそもそういう属性にダメージ受ける人は手を出さないほうがいいというか手遅れだったらご愁傷様です。
タイトルで一目ぼれしただけあって、根っこの部分が軍曹の属性と引き合うような作品でした。最終的には「属性が合うか合わないか」だよねえ。
もっとヌチャッと生臭くてもよかったかな。母親の描写が白眉。
※原題から連想される直球のストーリーだったら、マトリックスのパクリになってたと思うが。
電撃の金賞を受賞したやつで、二次通過が発表された頃から読みたい読みたいといい続けていた一本です。
著者の土橋真二郎氏は、なかなかの投稿職人暦を持っているようで、書き続けて実力を磨き晴れての受賞という感じですかね。
*感想
騙された。
いい意味と悪い意味で騙された。
まずはいい意味から。面白かったです。
もともと「受賞しないかもしれない、数ある応募作のうちのひとつ」だった頃から、これ読みたいこれ読みたいといい続けていたものなので、面白くなかったらそりゃがっくりするだろうw
もっとも、ここに至るまでには、
ようやく読める→だ、騙された!→騙されたが面白かった
という流れがあるのですが。
では悪い意味を。
人工知能関係ないやん……
この作品、原題は「もしも人工知能が世界を支配していた場合のシミュレーションケース1」※という、タイトルだけでごはんが四杯おかわりできそうな代物だったんですよ。
そりゃもうどれだけ人工知能な話なのかとワクテカワクテカしていたのですよ。
「扉の外」に改題されて発売と知ったときも、扉という単語が「夏への扉」を連想させて、これはアレか、乙女回路搭載のハイヤード・メイドガールがご主人様はにゃーんな話なのかと(ry
ぜんぜん違うし。
「扉の外」というタイトルに変わったことはいいと思います。原題のままだったら訴えてた。
内容は「CUBE系青春群像中二病風味」で、特にメスの強さをねばっこく描写しているあたりが非常に軍曹好みでした。
元々軍曹は「母系社会で強い女リーダーが、オスを扇動して閉鎖された社会を支配している」系の話が大好きなので、そう言う意味では当たりを引いた。
まあ人工知能を期待して買うもんじゃないと思うよ!
人工知能があまり関係してこないとわかった中盤から、ストーリーのSFな部分はどうでもよくなって、いかに主人公がダメ男かを楽しむものにかわっていくあたりが人を選ぶ。
この主人公、要するに岡目八目の観察者なんだけど、孤高の人なんてカッコイイものじゃなくて、本質的に「やる気のないドッヂボールのモトガイ(最初から外野)」なんですよ。
強いメスと対比して、こいつの戦う気のなさが軽い。いやもう実に軽薄。描写が硬派なだけに、冷静に見返すと「結局お前ヒモじゃん!」というギャップが一層アレ。
メスはメスで、タイプは違えど揃ってディクテーター。
そこがニターッと楽しめる人には面白いのだぜこの本は。欲を言えばもっとニタニタさせてほしかったです。え?5月に続編が出るって?
あ、べっとりと青臭いので、そもそもそういう属性にダメージ受ける人は手を出さないほうがいいというか手遅れだったらご愁傷様です。
タイトルで一目ぼれしただけあって、根っこの部分が軍曹の属性と引き合うような作品でした。最終的には「属性が合うか合わないか」だよねえ。
もっとヌチャッと生臭くてもよかったかな。母親の描写が白眉。
※原題から連想される直球のストーリーだったら、マトリックスのパクリになってたと思うが。